2015年2月26日木曜日

堀田善衛『ゴヤ』(60)「宮廷画家・ゴヤ」(7終) : 『ラ・ティラーナ像』1790-92 「これは”女優”というよりも、むしろ女将軍、女偉丈夫の肖像である。あたかも、ゴヤが絵画の世界で一兵卒からたたきあげた大将であることと照合するかのようである。 ・・・これは、ある意味では女ゴヤ、あるいはゴヤ自画像の女性版であろう。」

ゴヤ『ソラーナ侯爵夫人像』1794-95
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ゴヤ『ソラーナ侯爵夫人像』1794-95 :
それはゴヤの数多い肖像画のなかでも傑作の部類に属する
 「そういう谷間のような時代の底に立っているのは、その衣裳からも顔立ちのきびしさからも、もっともスペイン的な一夫人である。
それはゴヤの数多い肖像画のなかでも傑作の部類に属する。ソラーナ侯爵夫人にして同時にカルビオ伯爵夫人である人の立像である。
卵型の面長なこの夫人は、痩身ながら実に倣然と、横柄なまでの貴族ぶりを発揮している。カツラもかぶらず、髪に大型の薔薇色のリボンを結び、これも薔薇色の、いささか色薄い紗をかぶり、肩からは灰白のレースで縁をとった肩掛けを、やや黄色味を帯びた手袋の手でこの肩掛けを前で絞っている。そうして長い、踵まで届くスカートは、黒。ブラウスも、黒。
この場合、黒い服は喪服ではない、スペイン女性の伝統的な服装なのである。
この薔薇と灰白と黒は、これこそがスペインの色なのである。上から下まで黒一色に、薔薇色と灰白色。
そうして黒の衣服は、抑制によって威を示すのに、まことに間然とするところがない。
厳格なまでに誇り高く、質素で、信心深くて家庭的なスペインの女性である。マホやマハ、あるいは外国かぶれのペティメトラに身をやつすこともせず、スペインの伝統そのままに繊細微妙な配色の前・背景のなかに - これもまた緑がかった灰白及び青と薔薇色を配している - 吃立している。前・背景はスペインの風景をぼかして非形象化している。
しかしこの、スペイン的、あまりにスペイン的な黒服の女性も、あたかも自分自身の喪に服しているかのようにして、この絵に描かれたその翌年に死んで行くのである。
マリー・アントアネットの偽物やら、マホやマハで混雑混乱している風俗のなかに、きらりと閃光のようにしてあらわれた純スペイン風な候・伯爵夫人は、稲妻のようにあらわれて消えて行く。」

ゴヤ『ラ・ティラーナ像』1790-92 :
これは、ある意味では女ゴヤ、あるいはゴヤ自画像の女性版であろう
 「もう一枚の、この同じ時期の女性肖像画・・・
それは、これもまた倣然たるスペイン女の典型であると言えるかもしれないものである。ソラーナ侯爵夫人はその痩身から痩身ゆえの威を発していたけれども、この場合は、堂々たる体躯に古代の、おそらくはローマ時代の衣裳をまとって、舞台装置かと思われるものの前に突き立っている。
描かれた主人公は、女優「ラ・ティラーナ」である。彼女の本名は別にあるのであり、彼女の夫が暴君役をやらせると右に出る者がいないほどだったので、妻である彼女にまで「ラ・ティラーナ」という仇名がついたものであった。
彼女もまた一人のゴヤであったと言えるであろう。セピーリァの巷の貧しい家に生れて、いまはアルバ公爵夫人の知遇をえているマドリード一の大女優である。敵はオスーナ公爵夫人が肩を入れているペパ・フィゲラスだけである。
濃い眉毛の下の、少々は飛び出した眼は、あたかも「ゴヤ氏よ、あなたはフエンデトードスとかという聞いたこともない村のお生れとか……」と語っているかに思われる。豊満な肉体は、白い絹の衣裳と、インドのサリ風に半身にまわした長大な肩掛けのなかから溢れて出て来そうである。
ゴヤはこういうたっぷりとした女が好きなようである。そういう女性には、王妃マリア・ルイーサにもはかせない、立派な装飾のある靴をはかせていることにも特徴はある。これは悲劇の女王であり、従ってマドリードの巷の憧れの的、スターである。
首は大理石の柱の如くにあくまでまるく、腕もまた精気にあふれている。・・・
しかしともあれ、生れながらの貴族の女どもと異って、全身で、彼女が幼い頃から全スペインを芸人として旅役者として歩き、戦い抜いて来たその生涯を物語っている。
これは”女優”というよりも、むしろ女将軍、女偉丈夫の肖像である。あたかも、ゴヤが絵画の世界で一兵卒からたたきあげた大将であることと照合するかのようである。
画家とモデルは、気が合っていた、気脈が通じていたと言えるであろう。これは、ある意味では女ゴヤ、あるいはゴヤ自画像の女性版であろう。
この同じラ・ティラーナの、二~四年後の肖像をゴヤはもう一枚描いている。それは全身ではなく三分の二の像なのだが、すでに顎は二重になり、目尻には一筋の皺が忍び込んで来ている。頬も身体つきの全体にも中年肥りのまるみが出て来ていて、身体に精気がない。
灰色が全体の基調になっている後者は、中年以降、頽勢に向う中年女性像の ー そのリアリズムにおいて ー 傑作というべきものである。運命には、われわれもまた従わねばならない。
後者の肖像は、彼女が舞台から引退をするについての記念なのであった。ゴヤが、おそらくはなむけとして彼女に贈ったものであったろう。引退の理由は、悲劇的に、結核症状の悪化であり、引退後三年目に、おそらくは生活のためであろう、彼女は劇場の出納係の事務を担当し、地味に生きて死んだ。
マドリードで一、二の、つまりはスペインの大悲劇女優が舞台と楽屋で客をひきつけているのではなくて、埃っほい事務所で、切符の水揚げや他の俳優たちの衣裳費や舞台装置の費用を計算している。
モデルとしての、生身のラ・ティラーナもまた死んで行った。そして二枚の生きているラ・ティラーナにわれわれは出会う。」

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多くの真偽不明の”伝説” 伝説は民衆の想像の所産である
 「上流階級の人々が、ほとんど誰彼なしに競ってゴヤに肖像画を描いてもらいたがった。けれども何分にも当人は倣然として、「僕は人も羨むような暮しをしている。(中略)待たせるのは僕の方なんだ。たいへん高位の人か、もしくは友人の求めによるものでなければ、僕はもう他人のために働きはしない」とうそぶいている。
そういうところから多くの真偽不明の”伝説”が生れて来た。伝説は民衆の想像の所産である。

・・・若くて美しい某々侯爵夫人もその一人で、何とかして肖像画を描いてもらいたかった。ある日、夫の侯爵が夫人同伴でゴヤを訪れ、一計を案じた。その日、ゴヤ家の人々は不在で、ゴヤ一人がアトリエにいた。世間話の最中に、夫人をのこして、侯爵はつと立ち上ってアトリエの鍵をとり、さっと出て行って鍵をかけ、ドアの外から声をかけた。
- ゴヤ先生、あなたは私の虜ですよ。私の侯爵夫人の肖像を描かないと外へ出られませんよ。二時間を、私はあなたに差し上げます。
そう言い捨てて侯爵はゴヤ家を出て行ってしまった。
侯爵夫人は美しく、浮気っぽい女性であった。二時間後に、肖像は出来上っていた。
- ああ、侯爵、とゴヤは二人を送り出しながら悪戯っぼく言った。
- あなたのお望みになったことはすべて果さねばなりませんからね。
その出だしの奇妙さからして、この侯爵夫人とのつきあいは、もっとも長くつづいたものの一つであった。」

「もう一つ。

同じ侯爵夫人が、夫の侯爵に従ってアランホエースの離宮へ行かなければならなくなったが、彼女は行きたくなかった。そこで今度はゴヤの方が一計を案じ、夫人に靴下を脱がせて裸の足にひどい挫傷をして内出血をしている様を油で描いてやった。帰宅をした夫人は夫にその傷跡を見せると、夫が医者を呼んだ。医者はくわしく調べてから安静が必要であるとして鎮痛剤を処方して、足首に包帯を巻いて行った。夫は仕方なしに一人で出掛けた。」

「もう一つ。

ゴヤを愛していたある大貴族の夫人が、とてつもない財産を残して死に、その遺言状の一つにゴヤへの大枚の遺贈をする旨しるしてあった。
ゴヤはこの遺書の開封のための集りに、息子や娘をはじめとして他の遺贈期待者とともに、堂々と胸を張って出席した。人々はゴヤを憎しみの目で睨みつけていた。何分にも彼は大金持であり、宮廷画家である。ゴヤのための遺書が読み上げられて、彼に手渡された。
- 何ということだ、列席の諸君、画家ゴヤは諸君のおっ母さんをこそ欲しかったけれども、あんた方の財産まではいりませんよ。あんた方で取っときなさい。そんなもの貰ったら私の手が汚れる。
ゴヤは人々の面前で遺書を引き裂いた。」
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