2015年8月30日日曜日

靉光 『シシ』(1936(昭和11)) 『眼のある風景』(1938(昭和13)) (国立近代美術館常設展) : シュールだろうと何だろうと、もうそんなことはかまわないではないか、これはもう、靉光の一つの壮大なる「自画像」であるといってもいいのではないのか。(窪島誠一郎)   


靉光 『シシ』 1936(昭和11)

美術館の説明書
題名どおりライオンが描かれています。
絵具を塗り、それを削ったり拭き取ったりし、そしてまた塗るという過程を、何度も何度も繰り返すことで生み出されるこの絵画の中に、ライオンの姿を把握するのは少し時間がかかるかも知れません。
ですが、よければ立ち止まって、その姿態を見つけてください。
絵画の前で立ち止まり、画面の隅々にまで目を配ること、それは作家の制作における息の長い時間を想起させるとともに、あっという間に過ぎ去ってしまう光陰に抗い、この場に留まり、じっくりと眺め、沈思する経験をもたらしてくれます。

HP 「屋根裏部屋の美術館」より

作品「シシ」(1936年)
大谷省吾氏による作品解説
(BM美術の杜 2007,Vol.13 「生誕100年 靉光 AI-MITU」文/大谷省吾)

 靉光が転機を掴んだのは、ライオンの連作によってだった。上野動物園に通い、さまざまな動物をスケッチするうちに、集中して取り組んだシリーズである。1936年(昭和11年)の中央美術展で準賞を受けた《シシ》はそのひとつ。しかし、どこにライオンがいるのか、一見したところよくわからない。じっと見ていると、左を向いて体を丸めてうずくまる姿が、ようやく見えてくるのだが、それにしても私たちがふつうライオンと聞いて思い浮かべる姿とは、かけ離れている。しかし、存在感は強烈である。この存在感は、どのようにして生み出されたのだろう。
 
《シシ》に近づいてよく見ると、絵具が何層も重なれているのが分かる。ある部分では、パレットナイフのようなもので削った跡がある。光と影の対比は強いが、とはいえ立体感をだすことはあまり意図されていない。むしろべったりと、油絵の具の材質感を強調するような塗り方がなされている。ここでは、ライオンの存在感とが、大画面の中でせめぎあっているのだ。

***作品解説***

 ライオン(シシ)は中央やや右下に大きな口を開いて笑っているように描かれている。中央やや左上には、大きな尻がある。そうすると、この尻の形、色からすると、左を向いている動物は、熊だろうか。そして、その間に二匹の黒い動物が立っている。
 また、熊の顔に見える部分は、ウサギにも見える。そのウサギの右上には、黒い動物が何匹かいる。
 作品下には、蛇に巻き付かれたような犬がいる。かといって、犬は苦しんでいる訳ではなく、穏やかな顔をしている。
 そして、作品左下には、蛇の大きな口の中にいる犬?がいる。作品左上には上に頭を持ち上げ、口を開き餌を飲み込もうとしているカバがいる。上部中央やや左には、ゾウの鼻らしきものがある。作品右上には、三匹の動物が描かれている。左は牛で、右が犬である。そして、その真ん中には、耳の大きな、目が光っている奇妙な動物が描かれている。三匹とも魔物だろうか。
 この作品は、この作品は、トリックアートで、楽しい動物園が描かれている。
 しかし、ここには、存在感のない男もいる。




靉光 『眼のある風景』 1938(昭和13)

文化遺産オンライン
眼のある風景
8回独立展(「風景」) 東京府美術館 1938

 戦時体制へと傾斜していく昭和10年代、時代の非常時性が喧伝(けんでん)されるなかで自分の存在を割りきり、あらたな状況を先取りする社会の尖兵たらんとする人々の生活感情にはアクセルがかかっていた。
第二の活況期といわれる新興美術運動の盛りあがりも、一面ではあおられた生活感情の現れであった。
上京後しばらく、靉光もその波にのみこまれ、精力的にモダニスムを吸収したが、処世に不器用な彼は、非人間化していく社会に合わせて、自分を画家として割りきれず、制作も行きづまって、しだいに自らの存在のうちに沈潜していった。
やがて、自虐的なほどの自己否定のなかから、近代化のうちに圧殺されてきた民衆的生活感情に連なるライオンが、存在のシンボルとして連作されたのち、意識的存在を批判する独自のシュルレアリスムに到達したのがこの作品であるといえよう。
ここでは、もはや、あらかじめ意識にのぼったシンボルが描写されるのではなく、おそらくはライオン時代の古カンヴァスを塗りつぶしていったのであろうが、自己中心的な解釈を停止した行為のうちに存在者が解体され、むしろ、粘着的な摩擦感をはらんだマティエールに、むきだしの存在そのもののリアリティが現れている。意識的存在を批判する意識下の眼には、それゆえに、観念的な批判にはないリアリティがある。


窪島誠一郎 『戦没画家 靉光の生涯 - ドロでだって絵は描ける -』より

 この「眼のある風景」をみたとき、私はちょっと口ではいいあらわせないような特殊な感想をもった。特殊というか、靉光の絵のもつ、何か腹の底をえぐってくるようなふしぎを迫力に圧倒されたのだった。

 いちめんの赤褐色の闇のむこうにうずくまる生きものはいったい何だろう。じっと息をひそめてこちらをうかがっている、えたいのしれない奇妙な朱黒い生きもの。それは木の根っこのようにもみえるし、いびつなかっこうをした土のかたまり、半ば破壊されたトルソのようにもみえる。そのまんなかのやや左寄りに、じっとこちらをみつめているするどい眼が一つ、何ものかの襲来をまちうけているかのようにあやしくひかっている。どこかおびえでもしているように青白い光をたたえた巨大な眸(ひとみ)。それはまるで、重苦しくたれこめた時代の闇のなかにあって、身じろぎもせず敵をみすえている媛光自身の眼であるといっていいかもしれない。

 この作品について、ヨシダ・ヨシエ氏は「明らかなシュールへの第一作」と評しているけれども、それは当時の画壇に流入しっつあったシュールレアリスム画法の、まざれもない試作の一つであったと同時に、靉光の新境地をひらく冒険的作品の一つでもあったといえるだろう。

 画友鶴岡政男は、そのころの靉光の培風寮の仕事場をふりかえって「十帖ぐらいの彼の画室には、彼のモチイフである、枯れた草木や黒い石ころ、目刺しや芽の出た馬鈴薯などが、テーブルの上にころがっていて、その上の天井からは干乾びた雉子(キジ)がつる下げてあり、西日のあたる窓の中で、その骨についた羽根が、ふんわりふんわり動いていた」(『異端の画家たち』)とかいているが、たぶん「眼のある風景」も、そうした靉光だけのもつ一種異様な密室空間、そこに生じた靉光の「自己と対峙する時間」から生まれた絵であることはまちがいない。・・・

 私は「眼のある風景」は、靉光の何ものかにたいする一種の憤懣のようなものが塗りこめられた絵ではないかと思った。

 靉光は、自分の心の内部にあれほどのするどい眼光をそそぐことによって、自らの人生の怨念や遺恨をはらそうとしたのではないか。そしてその怨念は、やはり靉光自身の生いたち、たた戦争へ戦争へとすべりこんでゆくやりきれない時代への、画家としての欲求不満や鬱屈ともつながるものに思えて仕方なかった。あの重たげで奥ぶかい赤褐色の暗闇は、ほかならぬ画家靉光をとりかこむ底なし沼のような時代の闇であり、そこにひかる眼光は、靉光の精神をつねに監視しつづけているもう一人の靉光の眼でもあったはずなのだった。

 ・・・。シュールだろうと何だろうと、もうそんなことはかまわないではないか、これはもう、靉光の一つの壮大なる「自画像」であるといってもいいのではないのか。

 木の根っこみたいな抽象的なかたちが、靉光の姿にみえるというのではない。そのえたいのしれない赤褐色の闇につつまれた画面の奥底に、はっきりと人間靉光の相貌がうかびあがってくるのである。あやしくうごめくかたまりは、当時の靉光の精神のかたまりであり、そこにひかる眼光は靉光自身の光である。そして、その闇をおしつぶすようにたれさがった乳白色の空と、そのむこうにみえるごくわずかな群青のひろがりは、靉光の心のなかにあった希望の明るさである。明るさと暗さのあいだからじっとこちらをみつめている靉光のその眼は、あまりにもさびしくせつない。

 そういう見方をすれば画家の絵はすべて自画像であるともいえるだろうが、この 「眼のある風景」には、靉光自身の精神、肉体、絶望、希望の一切がおしこめられデフォルメされ、合体されているといってもいいだろう。そしてそれは、靉光がかつて「ライオン」の画中において示唆していた、描こうとする対象にいかに自分という人間の存在のレアリティを出すか、というきわめて困難な作業でもあったのだろう。
 
 私がはじめて東京国立近代美術館でその絵をみたときにおそわれた、あの戦慄にも似たふしぎな感動は、たぶん作品がもっている色彩や造形の不可思議さ、あやしさにうたれただけでなく、その絵のうしろに立つ一人の画家の強烈な生命力にうたれたためたったのではないかと思われるのだ。

 ただ、それもまた、あらかじめ靉光が「眼のある風景」制作にあたって企図していたものであるとはいえないようだ。

 なぜなら靉光という画家は、画布にむかうときにそういった大上段にふりかぶった、「人生の煩悶」だとか「自己への問いかけ」とかいった動機や衝動によって絵筆を運ぶ画家ではなかったからだ。この作品が鑑賞者にあたえる衝撃とさえいっていい感動は、じつは靉光がほとんど作為していなかったものから発せられたものなのであり、それはあくまでも、靉光が生み落した絵のもつ色彩、形態がもたらしたものであるというしかないのだ。それはある意味で、靉光が画布の上に繰りかえし繰りかえし塗りこめていたマチエール(材質効果)と、そこに必然的にうかびあがった靉光の企図しなかった「絵の力」であるといえるのではなかろうか。

 げんに靉光は、この「眼のある風景」が完成したとき
 「いったい自分は何を描きたかったのか、わからぬままこの絵は出来上ってしまった気がする」
当時「培風寮」の隣の部屋に住んでいた画友森鴻光にそうもらしていたという。

 そして、森鴻光が
 「この古カンバスの下にはライオンが描かれていたんじゃないのか」
と問うと、
 「何しろ新しいカンバスを買う金がなかったから」
いかにもそうだ、といった顔をして片目をつぶったという。

(引用おわり)



靉光 『素描図巻』



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