2015年8月30日日曜日

美術館の愉しみと井上陽水『長い坂の絵のフレーム』

美術館の愉しみに少しハマってしまって、
画家に関する本などを読み始めたりしてる。

で、このことでなんかデジャブ感が拭いきれなかったんだけど、
先週、ふと、これだ、というのに気付いた。

井上陽水『長い坂の絵のフレーム』の、
昼下がりは 美術館で 考えたり」ってとこだ。

「生まれつき僕たちは 悩み上手に出来ている」ってのもいいよね。


長い坂の絵のフレーム from NHK

(歌詞)

この頃は友達に 手紙ばかりを書いている
ありふれた想い出と 言葉ばかりを並べてる
夢見がちな 子供たちに 笑われても

時々はデパートで 孤独な人のふりをして
満ち足りた人々の 思い上がりを眺めてる
昼下がりは 美術館で 考えたり

誰よりも幸せな人
訳もなく悲しみの人
長い坂の絵のフレーム

生まれつき僕たちは 悩み上手に出来ている
暗闇で映画まで 涙ながらに眺めてる
たそがれたら 街灯りに 溶け込んだり

これからも働いて 遊びながらも生きて行く
様々な気がかりが 途切れもなくついてくる
振り向いたら 嫌われたり 愛されたり

誰よりも幸せな人
訳もなく悲しみの人
長い坂の絵のフレーム

誰よりも幸せだから
意味もなく悲しみまでが
長い坂の絵のフレーム

下は国立近代美術館




靉光 『シシ』(1936(昭和11)) 『眼のある風景』(1938(昭和13)) (国立近代美術館常設展) : シュールだろうと何だろうと、もうそんなことはかまわないではないか、これはもう、靉光の一つの壮大なる「自画像」であるといってもいいのではないのか。(窪島誠一郎)

津田青楓 『犠牲者』 『ブルジョア議会と民衆生活』(下絵) 東京国立近代美術館の常設展 : 小林多喜二虐殺に触発されて描かれた。津田は、「十字架のキリスト像にも匹敵するようなものにしたいという希望を持つて、この作にとりかかつた」(『老画家の一生』)と記す

古沢岩美 『餓鬼』(1952) (国立近代美術館 常設展) : 「兵卒としての私の戦争への総決算的作品」と作者が呼ぶこの作品は、権威が失墜した山県有朋の銅像を背景に、痛ましい傷痍軍人の姿を描いています。・・・批評家からは、「動機は理解できる。しかし、出来上がったものは醜悪きわまるものだ」と酷評されました。

夭折の画家 村山槐多『バラと少女』(1917年 大正6年) 関根正二『三星(さんせい)』(1919年 大正8年) (国立近代美術館 常設展) : 日本にもあなたに似た絵かきが居た 長谷川利行や佐伯祐三や村山槐多や さかのぼれば青木繁に至るまでの、 たくさんの天才たちが居た 今でも居る。 そういう絵かきたちを、 ひどい目にあわせたり それらの人々にふさわしいように遇さなかった 日本の男や女を私は憎む。 (三好十郎の戯曲『炎の人』より)

藤田嗣治 『アッツ島玉砕』 国立近代美術館(常設展示 「誰がために戦う?」) : 「「戦争記録画」を単なる戦争賛美画ではなく,戦争の悲惨さを表現した戦争画であると見直す動きが出てきた。しかし,総力戦であった大東亜戦争・アジア太平洋戦争を一副の絵で表現するのは困難で,画家の戦争観の影響した主題が問題となると思われる。」

中村研一 『コタ・バル』 国立近代美術館(常設展示 「誰がために戦う?」)

東京 国立近代美術館で荻原守衛のブロンズ『女』に遭遇した




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