2015年9月10日木曜日

石川寅治 『渡洋爆撃』 / 佐藤敬 『クラークフィールド攻撃』 / 鶴田吾郎 『神兵パレンバンに降下す』 / 宮本三郎 『香港ニコルソン附近の激戦』 / 小川原脩 『成都爆撃』 国立近代美術館常設展 ~9月13日 : 自らの戦争責任に真摯に向き合う元従軍画家・小川原脩

 石川寅治 『渡洋爆撃』

美術館の説明
石川寅治 1875-1964
渡洋爆撃 1941昭和16年

 この作品は、1937年(昭和12)年8月14日から三日間にわたって行われた南京周辺の飛行場に対する爆撃の場面を描いています。
 日本航空部隊初の海をこえての作戦として大きく報道されましかた、台風が接近する悪天候をおしての出撃だったようです。
 石川は、嵐の黒雲を避けて白波たつ海面すれすれを、木の葉のように揺れながら飛行したという兵士の証言をもとにこの作品を描きました。
 航空機のスピードと浮遊感を絵画で表現することの困難を、この作品は荒波の風景と組み合わせることで克服しようと試みています。

 佐藤敬 『クラークフィールド攻撃』

美術館の説明
佐藤敬 1906-1978
クラークフィールド攻撃 1942昭和17年

 本作品に描かれたのは、1941(昭和16)年12月8日に台湾から出撃した零戦が、フィリピン攻略の足がかりとして、米軍のクラークフィールド飛行場を攻撃する場面です。
 縦長の画面をうまく使って、爆撃の対象となる飛行場を俯瞰で捉えながら、しかし立ち上がる地平線で画面を覆い尽くすことなく、上部に空の抜けを確保しています。
 軍から新型戦闘機の零戦を克明に描かないように依頼されたために機影は小さくとどめ、その代わりに爆撃による出火の煙を大きく扱うことで、単調になりがち航空絵画にリズムを与えています。

 鶴田吾郎 『神兵パレンバンに降下す』

美術館の説明
鶴田吾郎 1890-1969
神兵パレンバンに降下す 1942昭和17年

 本作品に描かれたのは、1942(昭和17)年2月14日、蘭印スマトラ島のパレンバンに陸軍落下傘部隊が降下した模様です。
 落下傘部隊のイメージは鮮烈な印象を与え、同じ年に「藍より蒼き 大空に大空に 忽ち開く 百千の 真白き薔薇の 花模様 見よ落下傘 空に降り・・・(以下略)」と謳われた「空の神兵」という軍歌も誕生します。
 鶴田は空挺作戦の一連の動くを異時同図法的に構成しようと努力しますが。最終的に青空に舞う落下傘の遠景に重きを置く構図を選択しました。
 それは当時「あまりに楽天的」と評されたようです。

宮本三郎 『香港ニコルソン附近の激戦』1942(昭和17)年

小川原脩 『成都爆撃』1945(昭和20)年

関連資料
番組紹介・NHK 2003/8/16 
「さまよえる戦争画――従軍画家と遺族たちの証言」
自らの戦争責任に真摯に向き合う元従軍画家・小川原脩 
―「群れに囲まれながらも自分であるためには・・・・」を問い続けて―


宇佐美承『池袋モンパルナス』より

 わたしは追い討ちをおけるようにたずねてみた。

 「戦争の矛盾など、全然感じなかったのでしょうか」

 「そりゃあ、日本兵のひどいところをみましたからねえ。中国で村や町に入ると、だれひとりいないんです。たまにいればお婆さんだけです。これが日本兵のやったことだと思うと胸がしめつけられる思いでした。またある夜、軍司令部の車に乗っているとヘッドライトのなかに、痩せこけた兵隊が、食い物をもらいにヨタヨタ寄ってくるのがみえたんです。置き去りにされた兵です。車はそれを無視して走りつづけるんです。いやあな気もちだったなあ。まえに召集されたときには陸軍病院で兵隊が、南京でひどいことした話をしてましたしねえ。でも、現実に戦争やってんだから、おればかりが特別の人間だとは考えられないんだなあ。戦争ってそんなもんです」

 小川原はそういってわたしの眼をみた。

(引用おわり)






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