2016年1月22日金曜日

別れる練習をしながら (趙炳華) 茨木のり子『韓国現代詩選』より

皇居東御苑 2016-01-19
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別れる練習をしながら          趙炳華


別れる練習をしながら 生きよう
立ち去る練習をしなから 生きよう

たがいに時間切れになるだろうから
しかし それが人生
この世に来て知らなくちゃならないのは
<立ち去ること> なんだ

なんともはやのうすら寒い闘争であったし
おのずからなる寂しい唄であったけれど

別離のだんどりを習いつつ 生きよう
さようならの方法を学びつつ 生きよう
惜別の言葉を探りつつ 生きよう

人生は 人間たちの古巣
ああ われら たがいに最後に交す
言葉を準備しつつ 生きよう


       茨木のり子『韓国現代詩選』(1990年 花神社)

趙炳華について

 一九二一年、京畿道安城郡に生まれる。
 戦前、東京高等師範理科(現、筑波大)で物理化学を専攻。
 一九四五年以降、韓国の中学、高校、大学で、物理、化学、数学を教え、詩集を出すようになってからは現代詩論、文章論も講じてきた。慶熙、延世、梨花の各大学にも出講、仁荷大学の大学院長を以って一九八六年、停年退職、現在仁荷大学名誉教授。
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 一九四九年、第一詩集『捨てたい遺産』を出してから一九八七年までに、三十冊の詩集を出版、だいたい一年に一度新詩集を出してきた計算で、おそるべき多産であり、今も進行形である。
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 汽車のなかであれ、居酒屋であれ、ひとたび想到れば一気呵成に詩を完成させてしまうらしい。即興詩に近い味わいを持っているのもそのせいだろう。
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 韓国でも若い人たちに人気があり、・・・「会って話してみたい詩人」の一人に挙げられていた。
 それというのも硬直とは無縁の、のびやかさ、視野の広さ、洒脱さ。一歩も後へは引かず黒白を争い、激突する気風とは異なる世界。そこに言いしれぬ慰安やくつろぎを覚えるのではないだろうか。
 中学時代「すでに生まれてしまったのだから、より多く生きてみることだ」と決意し、そのためには、より多く旅をすること、多く見ること、多くの人に会うこと、多く読むこと、多く考えることをみずからに課したと言っているが、それは現在までまっすぐに続いていて、一日一日を能うかぎり濃密に生きようという意志が詩からも感じとれる。だからこそ「別れる練習をしなから」が利いているのかもしれない。
 「純粋孤独と純粋虚無が私の宗教の世界」とも言っていて、たしかにこの二つは主調音であり、底流であり、厭世観を潜み出させている。その上、教師時代のニックネームが<酒樽先生>であってみれば、連想のおもむくところ『ルバイヤート』がひらめく。
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