2016年3月26日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(95)「巨人の影に」(8終) 「一八〇八年「五月の二日」から「五月の三日」にかけて、そうしてこの二日をきっかけとして、スペインの民衆は、・・・ほとんど素肌でもう一人の巨人に立ち向って行くのである。」

新宿御苑 2016-03-25
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一八〇八年「五月の二日」から「五月の三日」にかけて、そうしてこの二日をきっかけとして、スペインの民衆は、・・・ほとんど素肌でもう一人の巨人に立ち向って行くのである。

二日から三日にかけて何が起ったか。・・・。
二日の午後六時に西仏合同の軍事委員会が成立し、ここで武器携行者や訊問に答えぬ者、発砲した家のなかにいた者などの逮捕者を即決で裁くこととなった。・・・。
・・・。約三〇〇人ほどが、マドリードの各所で銃殺刑に処せられた。処刑は二日の夜から三日、四日の明け方近くまで断続的につづいた。ゴヤが描いたものは、プリンシペ・ピオの丘での処刑図である。
この丘に故アルバ公爵夫人の別邸があり、そこがミュラ将軍の司令部であった。この丘で四〇人から四五人はどの人が殺された。プラド大通りでも三〇人ほどの処刑が行われ、そのときの弾痕がいまだに現在のプラド美術館の外壁にのこっている。・・・。

二日の市中での遊撃戦での死者九一名の職業別リストがのこっている。それによると Don という、とにもかくにも人の数のなかに入る敬称つきで記録された人は砲兵大尉二人を含めて三〇名で、あとの六一人はいずれも貧しい下層階級の人々であった。

下男八、大工八、水運び人四、人市税納入所の雇い人四、靴屋三、店番三、厩番三、鋳掛け屋二、散髪屋二、板前二、犬の理髪屋二、乞食二、車大工一、版刻師一、箱屋一、ガラス職人一、菓子職人一、チョコレート職人一、カツラ師一、行商人一、清涼水売り一、洗濯屋一、馬車屋一、駅馬車の御者一、料理屋の小僧一、パン屋の小僧一、フリアス公爵家の家令一、庭師一、牧者一、山羊の番人一。・・・

・・・。
それに注目すべきことは、このなかには、街頭にいることがなりわいそのものであるという人々が多いことである。

ミュラは莫迦なことをした。
けれども彼は得々として五月三日にナポレオンへ通報し、そのなかで「昨日という日が皇帝にスペインを与えました」と書いていた。

さてしかし、この騒動の間に、われわれのゴヤは何をしていたか。
彼には銃声も砲声も聞えはしない。

そうしてエウヘーニオ・ドールス氏は、ゴヤは何も見なかったのではないか、と疑っている。
・・・。私としてはドールス氏に同調したい。…‥
ゴヤに、このマドリード蜂起と、その後の事態の推移がはっきりとつかまれるためには、もう少しの時間が必要なようである。

火花は上った。
その火花は、火花屋(chisperos)と総称される、鍛冶屋、鋳掛け屋、錠前屋に車大工などのプロレタリアートによって上げられた。
あとは、星星之火可以燎原、である。

(ついでに言っておけば、問題の親王フランシスコ・デ・パウラは明けての五月三日に、またたった一人のこったアントニオ・バスクァール殿下は四日に、無事にパイヨンヌヘ向けて発って行った。後者は、フェルナンド七世の留守をあずかっていたわけであるが、その政府に対して、「さらば諸君、ジョサファートの谷まで(最後の審判を意味する)」という、最後ッ屁のようなメッセージをのこして行った。同じメッセージのなかで、彼は少くとも暴民を鎮圧する軍隊がいたことを喜ぶとさえ言っている。これで、ブルボン家に属する人でスペインに残っているのは、枢機卿にしてトレドの大司教であるドン・ルイースと、チンチョン伯爵夫人=ゴドイ夫人とその妹だけになる。)

星星之火 - 星屑ほどの小さな火は、しかし、国中を蔽う流言輩語の嵐に煽られて大火になってしまった。バレンシアの臨時政府は「やいナポレオン! タダの包丁で武装したマドリードの蜂起した人民は、手前ェの兵隊五〇〇〇人をやっつけたぞ」と声明し、アストゥーリアスのそれは、「フランスの強盗ども、強姦屋ども、教会壊しどもめ、手前らは二〇〇〇人のマドリード住民を殺した!」と声明した。そうしてマドリードからたった一七キロのところにある一寒村モントーレスの村長さんは、村の名においてナポレオン皇帝に対して宣戦布告をした!(その勇を賞して今日ではこの村の広場に記念碑が立っている。まことにゴヤの「巨人」のモデルにふさわしい人であろう。)

事態がかくの如きことになっても、いまだにナポレオンを支持したり、あるいは態度のはっきりしない政府代表、市長や町長、あるいは軍の上級指揮官などで暴民と青年将校に惨殺されるものが続出していた。彼らを教唆し後押ししていたものが下級聖職者である。聖職者にとってナポレオンとは、フランス革命そのものであり、革命はすなわち瀆聖であり反キリストである。

モントーレスの村長さんの宣戦布告が表象しているものは、この蜂起が全国的、全国民的なものではなく、バレンシア、アストゥーリアスの例にも見られるように、地方地方の、地方別の性格をもっている、ということである。先に臨時政府という訳語を、Junta (会議、集会)にあてた所以でもある。
この村長さんは、今日のことばで言えば広い意味でのアナーキストであろう。中央政府というものを彼は認めていないのである。
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