2016年5月31日火曜日

(youtube) Sayaka Shoji plays Sibelius : Violin Concerto in D minor, Op.47 / 庄司紗矢香 『シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 作品47』


Sayaka Shoji plays Sibelius : Violin Concerto in D minor, Op.47


やっぱりメルトダウンだった…東電幹部が「隠蔽」認める (日刊ゲンダイ) ; 姉川尚史原子力・立地本部長・・・「55%や70%炉心損傷した状態で注水できていない状況を考えれば、常識的な技術者は『そう(メルトダウン)です』」とも言い、「マニュアルがなくても分かる」と話した。


(略)

・・姉川尚史原子力・立地本部長が30日の会見で「炉心溶融に決まっているのに『溶融』という言葉を使わないのは隠蔽だと思う」と発言した。

 この問題で、東電の原子力部門トップが見解を明らかにしたのは初めて。

 姉川氏は、2011年3月の事故直後に東電が1号機で確認した炉心損傷割合の数値を示し、「55%や70%炉心損傷した状態で注水できていない状況を考えれば、常識的な技術者は『そう(メルトダウン)です』」とも言い、「マニュアルがなくても分かる」と話した。

(略)

消費税再延期も財政出動も意味なし? サミットでハシゴを外された日本|加谷珪一|ニューズウィーク日本版 ; ドイツは当初から財政出動に否定的 結局、日本だけが財政出動を要望する格好に クルーグマン氏のオフレコ破りが示唆していた今回の筋書き 米国が再び利上げモード突入で、日本はますます動きづらく   

岡本太郎(1911-96) 『遊ぶ』(1961) 『反世界』(1964) 『夜明け』(1948) 『燃える人』(1955) 『コントルボアン』(1935/54) (国立近代美術館常設展示MOMATコレクション) 2016-05-12

▼岡本太郎(1911-96)
『遊ぶ』(1961昭和36)
 太郎は1960年代に入ると、それまでの画面にぎっしりとモチーフが登場する作風をガラリと変え、黒い梵字のように見えるモチーフを大きく中央に描くようになります。
《燃える人》など1950年代に描かれた作品は原爆など社会問題に眼を向けていましたが、この作品は日常のアクシデントの中で生まれたもの。
1961(昭和36)年4月3日、草津白根山でスキー中に左足を骨折。1ヶ月後に迫った「第6回日本国際美術展」に新作を出品予定だった太郎は、松葉杖をつきながらこの絵を描くことに挑戦。
太郎いわく「《骨折》という題名をつけてやろうかとふざけてみた」そうですが、そのコメントを知ると、画面左の5つの線が足の指のようにも見えてきます。


▼岡本太郎(1911-96)
『反世界』(1964昭和39)


▼岡本太郎(1911-96)
『夜明け』(1948昭和23)
 岡本太郎は、さまざまな矛盾を矛盾のままに対決させる「対極主義」という制作理念を唱えて戦後の美術界に旋風を巻き起こし、八面六臂の活躍をみせました。
夜の闇を切り裂くように、画面中央の怪物が天に向かって遠吠えするこの《夜明け》は、まさに太郎自身の戦後の第一声といえる作品です。
怪物の左右には、耳をふさぐ男と、のけぞる女が対をなすように配置され、その周りを赤や黄などの原色が乱舞する。
様々なエネルギーが衝突し、軋みを上げるこの作品は、「対極主義」の主張の具体化を目指したものなのです。


▼岡本太郎(1911-96)
『燃える人』(1955昭和30)
 本作は、1954(昭和29)年3月1日に起きた第五福竜丸の被爆事件に着想を得ています。
同船が太平洋のビキニ環礁近くでマグロ漁をしていたところ、アメリカ軍の水爆実験に巻き込まれて、乗組員23人全員が被爆したという歴史的な事件です。
本作の中央には、爆発のモチーフが見えます。
左下にある擬人化された船は第五福竜丸、右下から上にかけて大きく目のついた物体は、キノコ雲でしょう。
時代背景としては、1952年、サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)の発効。
同年、アメリカが水爆実験に成功。
1953年、アメリカ大統領のアイゼンハワーが国際連合総会で「平和のための原子力」について演説。
1955年12月、日本で原子力基本法が制定される、などといったようなことがあります。


▼岡本太郎(1911-96)
『コントルボアン』(1935/54昭和10/29)
 タイトルの《コントルボアン》とは、フランス語で音楽理論の用語です。
旋律どうしを同時に組み合わせる作曲技法を意味しています。
この作品の原作は戦災に遭い消失、1954年に再制作されました。
1935(昭和10)年当時の太郎はアブストラクシオン・クレアシオン(抽象・創造協会)に参加しながらも抽象表現に限界を感じ始め、翌1936(昭和11)年に脱会。
魔術を研究し、特異なオブジェや幻想的な絵画を制作したクルト・セリグマン(1900-62)とともに手の届く実感のあるものを追究する「ネオ・コンクレティスム(新具体主義)」を唱え始めました。
この作品に描かれた生き物を思わせる左右の二つのモチーフは、太郎自身が語った「バルバーブル=手に触れ得るもの」へと新たな表現を探っているようにも見えます。







詩人茨木のり子の年譜(5) 1960(昭和35)34歳 「あるとしの六月に」(『朝日新聞』) 「惰るべき六月」 翌年 「時代に対する詩人の態度」 ~ 1963(昭和38)37歳 

海の見える丘公園ローズガーデン 2016-05-21
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(その4)より

1960(昭35)34歳
2月、「ある一五分」HNKラジオ第二放送。
6月、「現代詩の会」安保阻止デモ。
7月4日、「あるとしの六月に」が『朝日新聞』に掲載される(第三詩集『鎮魂歌』1965年1月刊所収)

8月、「惰るべき六月」(雑誌「現代詩」飯塚書店)。

 ・・・五月から六月の日々を綴ったものであるが、この時期、日記本体では空欄が続いている。日記とは文体も明らかに異なり、これは日記風の体裁を取ったエッセイである。」

《(六月四日) その日、一人でも入れるデモを探そうと思った。(中略)坂の中ほどに立ってぼんやり見ていると、やがて大学生の大群がジグザグ行進をしてやつてきた。全学連をまのあたり見たのもこれが最初だった。〈岸を倒せ〉〈安保反対〉われらの友情は・・・という唄、はためき流れる無数の校旗、汗くさい顔、稚い顔の渦・・・全学連は日本の鬼っ子だ。とびがたかを生んで驚いているようなものだ。
 この皮肉と、おかしみと、感動! かれらは年令からいえば戦死した学徒兵たちの末弟ぐらいにあたるだろうか?》

《(同日) デモの波は、また動き始め、新橋方面に向かった。プロデューサーと別れて私はまた「声なき声の会」の列にもどった。警官の前を通るときは、うっかりすると押し返されるのでしっかりスクラムを組んだ。まったくこれも私にとつては劃期的なことだった。夫以外の見も知らぬ男性と腕を組むなどということは!》

《(六月十一日) 岸首相がギロチンにかけられているあやつり人形や、鬼のように手足を縛られ棒にくくりつけられていく人形や、「デッパひつこめ」のプラカードがさまざまの組合旗のあとに行進した。デッパであるのは岸氏の責任ではなく、ギロチンにかけるとすれば戦後すぐでなければならなかった。だからこれらの飾りものは、感覚的に不愉快だった。予備校生が持つて歩いたという「岸さん、浪人も悪くありませんよ」というプラカードの方が、どれほどウイットがあることか。たしかに岸氏は巣鴨以来永久に浪人でなければならなかった》

《(六月二十二日) 負けたことは事実だ。そういえば安保闘争は最初から負けていたともいえる。岸信介を選んだときにすでに負けている。
 選挙法にも問題があるらしいし、また広い日本の民衆の意識そのものが、敗戦の実態を受けとめていなかつたことの証拠で、これだけ盛上つた安保闘争が、どこかに絶望とむなしさを抱えていたのも、民衆の選んだ政府を民衆が罵倒する - その関係のやりきれなさがつきまとつていた故かもしれない》
(『清冽』)


この頃の日記にある読書感想

【L・ヒューバーマンの『キューバ』(岩波新書)をよむ。キューバについて知ることが多い。革命が成立するためには、よほど抑圧された貧困が前提となる。それが猛烈なバネとなり、ダイナマイトとなる。日本をふりかえってみると、その機会は敗戦直後しかなかったわけだ。民族性の違い。血のPHにもよるだろうが】 (一九六二年九月一日)

【『追われゆく坑夫たち』(上野英信/岩波新書)をよむ。ひどい世界だ。地獄だとおもっても、そこを去ることのできない人たち。ただこういう知識だけが増えてゆく自分をうとましく思う】 (一九六二年九月七日)

【岩波新書の『実存主義』(松波信三郎)をよむ。いかに日本人と思考形態が違うことか・・・。手をかえ品をかえ、実存という言葉をわからせようということに全努力が使われている。哲学の根づかなさ - 日本に於げろ - を痛感する。これほどこんせつ丁寧な入門書をよんでもおぼろげにわかるばかりである】 (一九六二年九月二十三日)

 キューバ革命、追われゆく坑夫たち、実存主義・・・いまや過ぎ去りし言葉ともなっているが、このころ、読書階層には親しまれたジャンルの本だった。
 茨木のり子には終始、固定したイデオロギーや特定の政治思想などはない。広い意味での教養人であり、リベラリストであったが、そのような人々は、一九六〇年代、社会的な層としていえばいまよりもはるかに厚く存在していた。自身の潜り抜けた戦争体験への自省を基点に、正面から自身と社会について思考することを止めない。それを良き〈戦後的精神〉といっていいのなら、彼女のなかにその精神を見るのである。
(『清冽』)

1961(昭36)35歳
3月、夫、くも膜下出血で入院。

「汲む」は『鎮魂歌』に収録されているが、初出は雑誌「いずみ」に掲載されている。茨木、三十五歳の作品である。
(「 - Y・Yに - 」)
Y・Yとは新劇の女優・山本安英のことである。人は若き日、そうとは知らずに大事な出会いを果たすものであるが、茨木にとって山本はそういう人だった。
(『清冽』)

エッセイ「時代に対する詩人の態度」(「現代詩手帳」1961年3月号)

 ・・・茨木は自身が安保闘争に参加した背景として、詩人と時代のかかわり方をまず押さえている。
《ヨーロッパの詩人にしても、中国の詩人にしても、どちらかというと時代に深くかかわった人達の方が私は好きだ。シェイクスピアなどほけろりとして(だと思うが)英国のルネッサンスに於ける人間たちの不安、動揺、懐疑、そして昂揚をはっきりつかみ出しているではないか。人々が思っている以上に文字をつづってなす仕事は、その時代との深いつながりを保っているものだと思う》

そして、運動参加者へのさまざまなレッテル張りなど、まるでトンチンカンであることにダメを押して締めくくっている。
《ポール・エリュアールの美しい言葉

 としをとる それはおのが青春を
 歳月の中で組織することだ

 というのか頭にひらめき、いまもひらめき続けている。私も切実にそうありたいと願う。
 私の青春とは、終戦と同時に、内からも外からもやってきた、あの矛盾だらけの若さに外ならない。
 歳月のなかで組織する - その歳月のなかに春夏秋冬しか見られない人は悲しい。歳月とは流れゆく時代だ。過渡的にして永遠な歴史そのものだ。
 あたうかぎり、自分の生きる時代と深くかかわってゆきたい。それも言葉で言うほど簡単ではないに違いない。時代の心臓は深くかくされている。
 デモに参加して以後、だいぶいろんなレッテルをはられたようだ。「進歩的文化人づら」「左派詩人」
 おお! じまんじゃないが資本論も読んだことのない者が、左派詩人のなかに入れてもらえるなら、まったく入れてもらいたいものだ。進歩的文化人づらというのはどういうのだろう? 馬づらみたいなのかしら?
 旅行鞄のラベルは賑やかな方がいい。「ミーチャン、ハーチャン」とでも「詩人にあらず」とでも、いろどり豊かにはってもらいたいものだ》
(『清冽』)

1963(昭38)37歳
4月、父洪死去、弟英一が医院の跡を継ぐ。
*
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(その6)に続く


安倍首相が今度は「私はリーマンショックなんて言っていない」! ネットではとうとう「ホラッチョ」の称号が(リテラ) ; こんなことも言ってたな→「TPP断固反対と言ったことは一回も、ただの一回もございませんから」←60歳を過ぎたフツーの人間が言うことではないナ / 安倍首相が消費増税の2年半延期を表明、自民役員会で異論出ず(ロイター);安倍首相は「私がリーマンショック前の状況に似ているとの認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」と発言 / 安倍首相否定、政府側説明と相違 「リーマン前に似ている」発言(朝日新聞);「私が『リーマン・ショック前に似ている』との認識を示したとの報道があるが、まったくの誤りである」と述べた。」









安倍晋三 ; 17分間の会見で “リーマンショック”7回 ← それでも、「リーマン発言」はなかった! (世耕に釈明させ、責任転嫁。嘘が嘘を呼ぶ。見苦しい)


「アベノミクスは大失敗」と言える4つの根拠 (中原圭介の未来予想図 - 東洋経済オンライン) ; (1)円安により企業収益が増えたとしても、実質賃金が下がるため国内の消費は冷え込んでしまう。 (2)大企業と中小零細企業、大都市圏と地方といった具合に、格差拡大が重層的に進んでしまう。 (3)米国を除いて世界経済が芳しくない見通しにあるので、円安だけでは輸出は思うように増えない。 (4)労働分配率の見地から判断すると、トリクルダウンなどという現象は起きるはずがない。


私たちはそろそろアベノミクスを総括したうえで、その問題点を修正するための経済政策を考えるべき時期に来ていると思われます。私はこれまで3年以上、この連載コラムやブログ、書籍などを通して、「大規模な金融緩和を主軸にした経済政策は間違いなく失敗するだろう」と、できるだけ論理的に申し上げてきたつもりです。その主な理由としては、以下の4点にまとめることができるでしょう。

(1)円安により企業収益が増えたとしても、実質賃金が下がるため国内の消費は冷え込んでしまう。

(2)大企業と中小零細企業、大都市圏と地方といった具合に、格差拡大が重層的に進んでしまう。

(3)米国を除いて世界経済が芳しくない見通しにあるので、円安だけでは輸出は思うように増えない。

(4)労働分配率の見地から判断すると、トリクルダウンなどという現象は起きるはずがない。

 (略)

要するに、2012年~2015年の実質賃金の下落率は、リーマン・ショックの前後の期間を凌駕していたというわけです。

 (略)




世界的にもこんなの異常だ! 在日米軍だけがもつ「特権」の真実 沖縄女性遺体遺棄事件から考える (伊勢﨑 賢治) ; 日米は「対等」ではない 「民営化」された戦争 際立つ日米地位協定の特異性 フィリピンとアメリカの「対等」な関係

2016年5月30日月曜日

(youtube) Carole King, You've got a friend / You've Got A Friend / Carole King (歌詞 日本語対訳付き)


Carole King, You've got a friend


You've Got A Friend / Carole King
(歌詞 日本語対訳付き)



ヘイトデモが政策評価 河村たかし名古屋市長 「ありがたいこと」 / ヘイトスピーチ問題で好評の大村愛知県知事、ヘイトデモにほめられて「ありがたい」の河村名古屋市長 - NAVER まとめ



「原爆投下はアメリカの責任ではなく人類の責任」というオバマの詭弁(BEST TIMES);たった一度たりとも自らの過ちを認めない国が、未来を語る資格があるとも思えない。 / コラム:広島「原爆神話」、米国はどう海外攻撃を正当化したか(ロイター);20世紀の最も重大な出来事の1つに対する米国の自己反省の欠如は、21世紀への影響も伴って、今も続いている。 / 米ワシントンポスト紙「広島だけではない。アメリカは多くの犯罪について謝罪していない」 - kojitakenの日記





オバマの演説。犠牲者、出来事の個別具体性を悉く一般化し、相対化してゆくことで、広範な人々の「共感を促す」というより、「反論を封じる」、徹底して政治的な文面。「広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。」と。様々な人々に開かれつつ、政治的に回収困難と見る声は抑圧している。 — 平野啓一郎



オバマの演説。犠牲者、出来事の個別具体性を悉く一般化し、相対化してゆくことで、広範な人々の「共感を促す」というより、「反論を封じる」、徹底して政治的な文面。「広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。」と。様々な人々に開かれつつ、政治的に回収困難と見る声は抑圧している。 — 平野啓一郎


2016年5月29日日曜日

(youtube) Rachmaninoff: Piano Concerto no.2 op.18 - Anna Fedorova - Complete Live Concert - HD 『ピアノ協奏曲第2番(ラフマニノフ)』 (ピアノ)アンナ・フェドロヴァ


Rachmaninoff: Piano Concerto no.2 op.18 - Anna Fedorova 
- Complete Live Concert - HD


やばい! → 「沖縄と共に悲しんでます」のアメリカ人、反・反基地工作しまくってる幸福の科学関係者だった - Togetterまとめ / 「沖縄と共に悲しんでいます」米軍人らがプラカードで訴える — ハフィントンポスト日本版 / 米軍属女性遺棄 悲しみに共感 教会に通う米軍人や軍属ら — 琉球新報





5月29日 大阪ヘイトデモを許すな 名古屋ヘイトデモを許すな (ツイッター写真) 「在特会退場! くだらんこと言うてんと早よ帰れ!」 ヘイトスピーチ・デモに対してシットイン

▼大阪ヘイトデモを許すな





▼名古屋ヘイトデモを許すな

1945/05/29 横浜大空襲  横浜の空襲と戦災関連資料|横浜市 / 今日、横浜大空襲から71年目 ▽1945年5月29日「横浜大空襲」 B-29爆撃機517機、P-51戦闘機101機が来襲、一番の人身の被害は京浜急行線黄金町駅


アメリカに謝罪を求めることができない本当の理由を独新聞の社説が暴いた・・・! オバマの広島での謝罪を恐れる安倍政権、日米の嘘を突く南ドイツ新聞論評 (Sharetube) ; 被爆体験を利用して加害歴史を隠蔽して被害者になりすます日本と、核兵器で早期の戦争終結を実現して犠牲を押さえたと戦争犯罪を糊塗するアメリカの共犯関係を指摘する


短い論評で原爆投下に関する日米の歴史認識の根本的矛盾を鋭く突いたものです。被爆体験を利用して加害歴史を隠蔽して被害者になりすます日本と、核兵器で早期の戦争終結を実現して犠牲を押さえたと戦争犯罪を糊塗するアメリカの共犯関係を指摘する

内閣支持率上昇55%、世論調査 米大統領広島訪問98%が好評価 | 2016/5/29 (共同通信) ; 消費税率10%再延期賛成は70・9%...安倍首相の下での憲法改正に反対が54・9%...日米地位協定「改定するべきだ」71・0% ← オバマ広島98%!なんだかなあ

「二つの国民 所属なき人 見えているか」 (小熊英二 論壇時評『朝日新聞』2016-05-26)

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論壇時評(『朝日新聞』2016-05-26)
「二つの国民 所属なき人 見えているか」 小熊英二
1962年生まれ。慶応大学教授。『単一民族神話の起源』でサントリー学芸賞、『〈民主〉と〈愛国〉』で大佛次郎論壇賞・毎日出版文化賞、『社会を変えるには』で新書大賞、『生きて帰ってきた男』で小林秀雄賞を受賞。

 19世紀英国の首相ディズレーリは、英国は「二つの国民」に分断されていると形容した。私見では、現代日本も「二つの国民」に分断されている。

 そのうち「第一の国民」は、企業・官庁・労組・町内会・婦人会・業界団体などの「正社員」「正会員」とその家族である。「第二の国民」は、それらの組織に所属していない「非正規」の人々だ

 この分断の顕在化は比較的最近のことである。私が国立国会図書館のデータベース検索で調べたところ、雇用関連の雑誌記事の題名に「非正規」という言葉が使われたのは1987年が初出だ。そしてそれは2000年代に急増する。

 それ以前も「パート」「日雇い」「出稼ぎ」などはいた。だが、それらを総称する言葉はなかった。「パート」や「出稼ぎ」でも「正社員の妻」や「自治会員」である人も多かった。単に臨時雇用というだけでない「どこにも所属していない人々」が増えたとき、「非正規」という総称が登場したともいえる。

■     ■

 彼らは所得が低いのみならず、「所属する組織」を名乗ることができない。そうした人間にこの社会は冷たい。関係を作るのに苦労し、結婚も容易でない。

①特集「生涯未婚」(週刊東洋経済5月14日号)
 「週刊東洋経済」の特集「生涯未婚」は、「結婚相談所なんて正社員のためのビジネスだとわかりました」という34歳男性の言葉を紹介している(①)。女性の7割は年収400万円以上の男性を結婚相手に期待するが、未婚男性の7割は年収400万円未満である。その結果、男女とも結婚できない。50歳時点で一度も結婚していない「生涯未婚者」は、2035年には男性で3人に1人、女性で5人に1人になると予測されている。

 これは所得の問題だけではない。昔なら低所得でも、所属する企業・親族・地域の紹介で「縁」が持てた。所属のない人々はそうした「縁」がないのだ。

②藤田孝典・白河桃子 対談「婚活ブームを総括しよう」(同上)
 こうした「第二の国民」は、どの程度まで増えているのか。統計上の「非正規雇用」は4割だが、藤田孝典は「一般的に想像されるような正社員は実は急減している」という(②)。労組もなく、労働条件も悪く、「10年後、20年後の将来を描けない周辺的正社員」が増えている。そして「彼らの増加と未婚率の上昇はほとんど正比例」というのだ。

③番組・NHKスペシャル「そしてバスは暴走した」(4月30日放送)
 低収入で家族もいない人が増加すれば、人口減少だけでなく、社会全体の不安定化に直結する。1月に犠牲者15人を出したスキーバス事故の背景に、高齢単身運転手の劣悪な労働・生活状況があったことはテレビでも報道された(③)。

■     ■

 それにもかかわらず、「第二の国民」が抱える困難に対して、報道も政策も十分ではない。その理由は、政界もマスメディアも「第一の国民」に独占され、その内部で自己回転しているからだ。

 日本社会の「正社員」である「第一の国民」は、労組・町内会・業界団体などの回路で政治とつながっていた。彼らは所属する組織を通して政党に声を届け、彼らを保護する政策を実現できた。

 もちろん「第一の国民」の内部にも対立はあった。都市と地方、保守と革新の対立などだ。55年体制時代の政党や組織は、そうした対立を代弁してきた。今も既存の政党は、組織の意向を反映して、そうした伝統的対立を演じている。

 報道もまた、そうした組織の動向を重視する。新聞紙面を見るがいい。記事の大半は政党、官庁、自治体、企業、経済団体、労組といった「組織」の動向だ。一方で「どこにも所属していない人々」の姿は、犯罪や風俗の記事、コラム、官庁の統計数字などにしか現れない。

 政党も報道機関も、「組織人」と「著名人」しか相手にしない。というより、組織のない人々を、どう相手にしたらよいかわからない。私はある記者から、こんな話を聞いたことがある。

 福島原発事故後、万余の人が官邸前を埋めた。米国大統領府前で万余の人が抗議すれば、大ニュースになるはずだ。しかし日本では報道が遅く、扱いも小さかった。その理由について、その大手メディア記者はこう述べた。

 「あの抗議は労組や政党と関係のない所から出てきた。組織がないのに万単位が集まるなんて、何が起きているのか理解できなかった。私たちは組織を取材する訓練は受けてきたが、組織のない人々をどう取材したらいいかわからない」

 30年前ならこの姿勢でもやっていけただろう。だが所属組織のない人々が増えるにつれ、「支持政党なし」も増え、新聞の部数は減る一方だ。「第二の国民」にとって、新聞が重視する政党や組織の対立など「宮廷内左派」と「宮廷内右派」の争いにしか見えないからだ。これは媒体が紙かネットかの問題ではない。

④堀内京子「現実無視のイデオロギーが税制歪(ゆが)める 首相指示により『3世代同居』前面へ」(Journalism5月号)
⑤平山洋介「『三世代同居促進』の住宅政策をどう読むか」(世界4月号)
 政策もまた、認識が古いために、的外れになっている。堀内京子は、官邸主導により、少子化対策として「3世代同居」優遇税制が導入された経緯を検証している(④)。だが平山洋介によれば、3世代世帯は持ち家率が高く、住宅が広く、収入が多い(⑤)。3世代世帯の出生率が高いとしても、恵まれた層の出生率が高いというだけだ。それを優遇しても、少子化対策として効果はなく、恵まれた層をさらに優遇するだけだという。

 放置された「第二の国民」の声は、どのように政治につながるのか。誰が彼らを代弁するのか。この問題は、日本社会の未来を左右し、政党やメディアの存亡を左右する。これは、この文章を読んでいるあなたにも無縁の話ではない。





総工費29億円の伊勢志摩サミットメディアセンターですが、サミット後は10日程一般公開、その後3億円かけ解体するとのこと…2日間の使用に32億円ですか… / 内部は三重県産のスギやヒノキがふんだんに使われ、和の雰囲気を醸し出す。


首相、消費増税の再延期伝達 財務相ら反対 (日テレ) ; 麻生財務相と谷垣幹事長が反対し、引き続き調整することになった。・・・自民党内からも「日本のかじ取りをおかしくする」との声も出ている。 / 増税延期、調整難航なら政権運営にしこりも (読売新聞) / 消費増税再延期なら“衆参W選”を~麻生氏 (日テレ) / 麻生氏は三たび敗れるのか (日経新聞) / 消費増税延期なら信を問うのが筋=麻生財務相(ロイター) ;  「信を問うのが筋だが、違う意見のひとが(党内に)いて、新聞記者が面白がっている」と延べ、党内の見解が分かれているとの認識を示した。 / 30日午前 麻生氏の解散要求応じず / 増税先送りなら国民に信を問うべきと首相に伝えた=自民政調会長  



しかし、28日夜の会談では、これまで予定通り来年4月に引き上げるべきとの考えを示してきた麻生財務相と谷垣幹事長が反対し、引き続き調整することになった。

 自民党幹部の一人は、「前回の選挙で訴えたことと全然違うなら、衆議院を解散しないと国民に納得してもらえない」と話している。

 また、伊勢志摩サミットの議論を受けた形での消費税率引き上げ見送りについては、民進党の岡田代表が、「アベノミクスの失敗を糊塗(こと)しようとしている」と批判しているほか、自民党内からも「日本のかじ取りをおかしくする」との声も出ている。
















菱田春草(1874-1911) 『王昭君』(1902 重要文化財) 『雀に鴉』(1910) (国立近代美術館常設展示MOMATコレクション) 2016-05-12

▼菱田春草(1874-1911)
『王昭君』(おうしょうくん、1902明治35)
重要文化財

 中国・前漢の元帝の時代、匈奴の王へ後宮から女性を差し出すにあたり、最も醜い者を肖像画で選ぶことになりました。
選ばれたのは絵師に賄賂を贈らなかった王昭君。
元帝は驚いて策を講じようとしたが時すでに遅く、王昭君は匈奴に嫁すことになりました。
その美女を送り出す別れの場面です。
墨の輪郭線を描かない、いわゆる「朦朧体」の試みがもたらした実りのひとつで、巧みな絵具のぼかしから生まれた滑らかな質感と夢想的な雰囲気が魅力です。



▼近代美術館HPより

▼菱田春草(1874-1911)
『雀に鴉』(1910明治43)






2016年5月28日土曜日

日本のスーパーで売られているチリ産の鮭を地元の人が食べない理由 (@HuffPostJapan) ; なぜか?というと、鮭がどのように養殖されているか、その現実を知っているからです

英文で読む日本国憲法 (柴田元幸 『朝日新聞』2016-05-12) ; 主語は「私たち」 絶対に戦争しない 気合の入った表現

『朝日新聞』2016-05-12
*
英文で読む日本国憲法 アメリカ文学研究者・翻訳家 柴田元幸
(『朝日新聞』2016-05-12)
1954年生まれ。東大特任教授。昨年、日英対訳の「現代語訳でよむ 日本の憲法」(アルク)を出した。
憲法の英文版は官邸のサイトで読める。(←コチラ)

主語は「私たち」
絶対に戦争しない
気合の入った表現

日本国憲法には日本語の「正文」のほかに英文版がある。70年前の憲法公布の際に、日本政府が発表した。GHQ草案とは異なる。海外では日本の憲法というとこれが読まれてきた。昨年、翻訳家の柴田元幸さんが新たに「現代語訳」し、出版した。英文を素直に読んで見えてきたという憲法のメッセージとは。

- 柴田さんは現代アメリカ文学の翻訳の第一人者であり、村上春樹さんとの親交の深さでも知られています。なぜ今、日本国憲法の、それも英文版からの現代語訳をしようと思ったのですか。

「もし英文版の文章がものすごく官僚的で、国民の権利なんか考えていないようだったら、やらなかったでしょうね。でも一昨年、英語雑誌の仕事で読んでみたら、そうではなかった。簡単に言えば、ちょっといい感じ、だった。新訳の形で出すことで、憲法の主体は僕らにある、自分たちで国を動かすんだという精神が見えるだろうと。だからやる気になったというのはあります」

「日本語の憲法の正文って『黒い』ですよね。画数が多い感じがする。新訳することで、あの黒々しい感じがもうちょっと抜けるかなとは思いましたね。英文版の方がわかりやすい。英語よりも日本語の方が、時代とともに変化している度合いが強いので」

- 訳す際に心がけたことは。

「文学作品の翻訳でも、読者にこう見てほしい、こう読んでほしい、ということは考えません。英文を素直に読めばこう読めますというものを提示しようと。ただ、僕は憲法の専門家ではないので、憲法学者の木村草太さんに相談しながら現代語訳を進めました」

■     ■

- 柴田訳を読んで、まず、前文の出だしで驚きました。正文の冒頭は「日本国民は、」ですが、柴田さんの訳は「私たち日本の人びとは、」で始まります。どうしてこう訳したのですか。

「『私たち』としたのは単純に、英文にそう書いてあるからです。“We,the Japanese people,”とある。素直に訳せばWeは落とせないですね。だから訳す。問題はpeopleで、『国民』という訳はすぐには出てこない。しかも『国民』というと、その上に何か別の権力があるという響きがしてしまう、ような気がする。『人びと』のほうがそれは薄いかなと。でも『国民』が全然駄目というわけではありません」

- 英文版はどういう英語ですか。翻訳家として英文を読み、どういう印象を受けましたか。

「前文とか9条とか、明らかに普通の法律文書ではこういう言葉は使わないだろうなという、気合が入っている英語です。それは強く思いました」

- 気合が入っている?

「言葉の選び方が一つ。9条の正文で、国際平和を『誠実に希求し』とありますが、英文版は“Aspiring sincerely”です。『心から何々を願って』という表現で、法律的な言葉ではないですね」

「戦争を『永久に放棄する』の英語は“forever renounce war”です。私も『永久に戦争を放棄する』と訳しましたが、foreverは、心情的に、絶対に、という気持ちを感じさせる言葉です」

-そうなんですか。

「憲法とは、私たちはこういう人びとです、日本とはこういう国です、と海外に向けて見せる、アピールするものでもあると思います。ひどい戦争があった、二度と起こしてはならないという文脈のもとで書かれていることは間違いない。正文でも前文で『政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうに』とある、この『再び』は、英文ではnever againと書かれています」

「この憲法全体に、『人びと』が隠れた主語として存在している。二度と戦争を起こさないと決意したのは、日本政府のエリートではなく、我々日本の人びとなんだという構図が、英文からもはっきりしています」

「12条で、憲法が保障する自由と権利を『人びとの不断の努力によって守るんだ』ということを述べていますが、英文版は“shall be maintained by the constant endeavor of the people”です。人びとはこうしなければという精神を述べています。具体的に何かを定めるというよりは、人びとの気持ちを導くような言葉です」

- 本の中で、前文と9条と97条は、英文の質がほかと明らかに違うと書いていますね。

「初めから英文版を読んできて、97条に来たら、突然ボルテージがバンとあがる感じがしました。“fruits of the age-old struggle of man to be free”とあります。僕はここを『長年にわたり人間が自由を求めて努力してきた果実である』と訳しました。こういう言葉が出てくると、一気に目が覚めるというか、『起きろ』と言われた感じがした。続けて“for all time inviolate”、これは正文では『永久』とありますが、僕は『未来永劫』としました。ここの英語は、気合が入っているというか、肩に力が入っている感じ。熱いです。ほかの条文とは違います

- 内閣の行政権を定めた65条で、正文は「行政権は、内閣に属する」ですが、柴田訳は「内閣には、法律に従い国政を執行する権限を与える」。「属する」と「与える」ではずいぶん違いますが。

「新訳とは、じゃんけんの後出しなので、違いを際だたせなければという意識があったのかもしれません。英文は“shall be vested in the Cabinet”です。最初から『属している』とは書いていないだろうと考えました」

- 内閣に「権限を与える」存在が別にいる、つまり主権者が与えるのだということですか。

「そこまで計算して訳してはいませんが、そういう意図はありますね。僕はアメリカ文学ばかりやってきたので、政府に権限を与えるのは国民だというのが当然だと思っていて、あまり考えずにこういう訳が出てくるのでしょう」

「人びとの上に誰かがいて、『あなたたちにこういう権利をやるからね』ではない。国会議員にせよ内閣にせよ、我々の代表者である、そういう意識が英文から感じられます」

■     ■

- 翻訳していてあらためて気付いたことは。

99条の憲法順守義務が守られていないなとか、いろいろありますが・・・。アメリカの独立宣言がいい意味で生かされている、ことですね。だからこの憲法は押しつけだ、ととられたら僕の本意ではないけれど」

「13条が幸福を追求する権利を定めています。生命、自由、幸福を追求する権利です。これはアメリカ独立宣言の中でも一番特徴的とされているところです。アメリカらしさが際立っているところがこの憲法に入っていることが、英文を見るとわかる。アメリカの理想が入り込んでいるのであれば、個人的にはいやではないです」

- 日本語は読めないが、英語なら読めるという人が日本国憲法を知るのは、この英文版からです。どう読まれると思いますか。

「もし僕が日本国憲法について何も知らないでこの英文を読み、一言で形容しろといわれたら、選ぶ言葉は『アイデアリスティック』(理想的)です。この言葉は二面性があって、『そんなの理想主義だ』と否定的に使われることもあるし、『理想的だ』と積極的、肯定的に使われることもある。個人的には後者を強調して言いたくなります。この憲法を読んでそう思う人は、海外でも多いでしょう」

- それにしても、ポール・オースターやリチャード・パワーズなど米文学の翻訳に取り組んできた柴田さんが憲法を新訳したのは意外でした。これまでは政治や社会の問題について発言すること自体、少なかったのでは。状況が変わったということですか。

「たしかにそうですね。かつて多様性が大事だとあれだけ言われていたのに、今は言われなくなったのに愕然としていて。もっとまともな世の中だったら、やらなかったかもしれないですね」

 (聞き手 編集委員・刀祢館正明)



国内より世界へ向けた宣言 ミラ・バースティーグさん(バージニア大学准教授)
オランダ出身。ハーバード、オックスフォード両大学院で学び、憲法の比較研究などに参加してきた。

研究のため、世界中の憲法を読んできましたが、ほぼすべての憲法は“We the People”といった表現で、「われら国民」や「われら人々」を制定の主語として使っています。憲法は国民と国家の間の社会契約なので、「われら人々」の名の下に宣言しないと、民主主義的な憲法を制定することが難しいためです。

モデルになっているのは、1787年に書かれ、「われら合衆国の国民は」で始まる米国憲法です。その7年前に書かれたマサチューセッツ州憲法にも「われらマサチューセッツの州民」という表現があり、このころから世界に広まったとも言えます。

憲法制定に当たっては「国民と国家の間の契約なのだから、そのときの国民の価値観を反映させるべきだ」という考え方と、「より普遍的な人権をうたうべきだ」という二つの考え方があります。日本の憲法は後者の典型例です。前文では日本の歴史よりも、「人類普遍の原理」に言及し、権利についての記述も1948年に国連で採択された世界人権宣言と似ています。戦後にできた各国の憲法の多くに共通するモデルと言えます。前文に「恒久の平和を念願」や「国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と書かれている点からみても、国内向けの宣言というより、世界における日本の立場のあり方を理想主義的に打ち出しているタイプです。

ただ、「普遍的な価値観」を打ち出している憲法が、一方で国民の考えを反映していない、ということもよくあります。他国の例ですが、ストに反対する人が多い国でスト権を明記している場合があります。国家権力を制約し、少数者の権利を保護するのも憲法の大切な役割ですし、人権は普遍的な価値観なので、必ずしも問題とはいえません。ただ、こうした憲法と、「われら人々」の意識の相違が、緊張関係を生むのも事実で、単純な解決策はありません。

対照的に、国民の意識を色濃く反映した憲法の代表例は米国憲法です。武器所持の権利も保障していて極めて特徴的ですが、世界の潮流にはなっていません。憲法としての影響力も低下しています。しかし、米国人にとっては大切な価値観で、200年以上続いています。どちらがいいのかは、一概には言えません。

 (聞き手・中井大助)

[音声DL付]現代語訳でよむ 日本の憲法 ー憲法の英文版を「今の言葉」に訳してみたらー
[音声DL付]現代語訳でよむ 日本の憲法 ー憲法の英文版を「今の言葉」に訳してみたらー





詩人茨木のり子の年譜(4) 1956(昭和31)30歳 翌年、同人誌「櫂」解散 ~ 1958(昭和33)32歳 第二詩集『見えない配達夫』刊行

2016-05-22 横浜 海の見える丘公園ローズガーデン
*
(その3)より

1956(昭31)30歳
3月、新宿区白銀町28(神楽坂)に転居
5月、私の好きな童話(木下順二)「貝の子プチキュー」NHKラジオ再放送。

茨木さんの素顔    天野祐吉
 詩を書くより前の茨木さんに、「貝の子プチキュー」という童話の作品がある。これは一九四八年に、山本安英さんの朗読でNHKから放送された。
 といっても、ぼくはその放送を聴いたわけではない。それどころか、茨木さんがそういう童話を書いていたこと自体、ずっと後になるまで知らなかった。
 が、茨木さんのことを特集した本でこの童話を読んだとき、ぼくは息をのんだ。茨木さんのいちばん根っこにあるものに、素手で触れたような気がしたのだ。
 あらすじを紹介しても作品にただよっている澄んだ空気を伝えることはできないが、ざっとこんな話である。
 来る日も来る日も海の砂にもぐって暮らしていた貝の子のプチキューは、ある晩、「いつもいつも同じことの繰り返しでつまらないなあ」と嘆く波の声を聞いて、まだ見たことのない世界を見たいと旅に出る。で、さまざまな体験をしたのち、海岸の岩によじ登ったプチキューは、そこで満天の星空と出会う。が、走り回った疲れから、美しい星空を見ながらプチキューは、岩の上で息が絶え、最後にことばを交わしたカニにむしゃむしゃ食べられてしまう・・・。

 プチキューの貝がらだけが波に洗われて、ポッカリ口をあげていました。
 だれもプチキューが死んだのを知っている人はいませんでした。
 その次の晩もまばゆいばかりの星月夜でした…。
 その次の晩も……。
 その次の晩も・…‥。

 この結末を聞いて、「むごい」とか「つめたい」と批判する人がいたら、それはまったくのお門違いというものだろう。岸田今日子さんが、「ここには宇宙と少年のドラマが隠されている」という意味のことを言っていたが、たしかにこの童話の舞台は、満天の星が象徴している壮大な宇宙である。プチキューの死は、そんな宇宙のなかの死であって、茨木さんはそれを、日常的な情緒の世界にとらわれることなく、ただ「そうあるもの」として見ているのだ。
 そんな茨木さんの目は、その後に発表された数々のすぐれた詩作にも感じられる。ぼくは茨木さんに数回しか会ったことはないが、そのたびに感じたのも、茨木さんのクールで優しい目の光だった。      
       (コラムニスト)
(『永遠の詩2 茨木のり子』)

1957(昭32)31歳
9月、『櫂詩劇作品集』(的場書房)に「埴輪」収録。
10月、「櫂」解散。

1958(昭33)32歳
2月、豊島区池袋3-1392に転居
4月、詩劇「杏の村のどたばた」NHKラジオ第一放送

10月、保谷市(現・西東京市)東伏見に家を建てる。

 茨木のり子が医師である夫、三浦安信と結婚して最初に住んだのは埼玉・所沢である。次いで神楽坂、池袋であったが、住宅難の時代、いずれも借家であった。所帯をもって九年目、東伏見に新築したマイホームに転居したのが一九五八(昭和三十三)年、茨木、三十二歳のときである。
振り返ってみれば四十数年、終の棲家となった自宅である・・・
(『清冽』)

11月、第二詩集『見えない配達夫』飯塚書店刊。
(収録作品)
「ぎらりと光るダイヤのような日」
「わたしが一番きれいだったとき」
「六月」

大岡 なるほどね。その場合、戦争中は暗黒時代だったということがあるために、戦後になって、ある意味でもう一度青春を生き直すということに結局なったわけでしょう。もちろん戦後も青春なんだけど、「わたしが一番きれいだったとき」という詩にあるように、十代の半ばすぎ、つまりハイティーン時代というのが、完全に戦争にとられちゃった。
茨木 そうですね、まあ。
大岡 そういうことからくる青春奪回の意志というものが、茨木さんの場合には、世代的にも特別に強いと思うのね。
茨木 そうだと思います。男性だって、或る陥没を成している世代ですよ。ろくに勉強してないんですから。
(大岡信との対談「美しい言葉を求めて」 谷川俊太郎選『茨木のり子詩集』(岩波文庫)所収)


「見えない配達夫」について 木原孝一
 ・・・茨木のり子は、現代意識と批評精神とをはっきり身につけている数少い詩人のひとりです。私たちのよくいう「考える詩」、すくなくともその詩を読んで、なにごとかを読者に考えさせるような詩を書くことのできる、教少い女性詩人のひとりだ、と去ってよいでしょう。
 はじめて私が彼女の詩にふれたのは一九五二年のはじめの頃でした。その詩は「魂」という題の作品で、それは次のように終っていました。

 まれに・・・
 私は手鏡を取り
 あなたのみじめな奴隷をとらえる

 いまなお<私>を生きることのない
 この国の若者のひとつの顔が
 そこに
 火をはらんだまま凍っている

 鏡にうつる自分の肉体と容貌を、魂の奴隷としてとらえるところに、私は彼女の批評精神の原型を見ます。そして、そのかげに自我喪失のかたちで多くの可能性をはらみながら映っている若者のイメージのなかに、私は私たちと彼女との共通のものである現代意識の芽を見るのです。だが、それにもまして、私を驚かせたものは、この批評と意識とを肉付けしているある能力だったのです。・・・
(『見えない配達夫』)

11月、「埴輪」TBSラジオ芸術祭参加ドラマ放送。

(その5)に続く






映画評 マイケル・ムーアの世界侵略のススメ 米国とは逆の流儀を探しに (『朝日新聞』2016-05-27)

『朝日新聞』2016-05-27

マイケル・ムーアの世界侵略のススメ
米国とは逆の流儀を探しに

(略)

 競争に勝つこと、一番になること、困ったやつをやっつけて罰を加えることなど、力で勝負をつけて格好良しとしたがるアメリカの流儀の逆をゆくものはないかと、ムーアはひたすら追求している。

 それでヨーロッパ諸国からアフリカにまで、大国だけでなく、むしろチュニジアとかスロベニアといった小さな国々に、具体的な制度などの例を探してまわっている。

 新鮮な発見がいくつもあって、冗談交じりのぞの紹介がなかなか楽しい。そこには優しさをこそ重んじる文明の新しい流れが見えてくるような気がする。

(佐藤忠男・映画評論家)

オバマ氏が謝罪しなかったことに安堵する日本政府。オバマ氏の謝罪は、日本がこれまで目を背けてきた戦争中の行為へと目を向けさせる。他方、これ以上謝りたくない安倍氏も、オバマの態度にむしろほっと胸をなでおろしている(仏レゼコー紙)

【オバマ大統領広島訪問】所感「よう言うてくれた」 物足りない、不満の声も (産経) ; 所感の内容はオバマ氏が2009年のプラハ演説で提唱した「核兵器なき世界」から「後退した」と・・・。「10分しか原爆資料館にいなかった。何を見て来たのか」と / 米大統領広島訪問:平岡・元広島市長「何をしに来たのか」 (毎日)


(略)

 もう一つの県被団協の佐久間邦彦理事長(71)は、所感の内容はオバマ氏が2009年のプラハ演説で提唱した「核兵器なき世界」から「後退した」と切り捨てた。核廃絶の道筋に触れなかったことを「こんな内容とは思わなかった」と憤った。被爆2世の古田光恵副理事長(69)も「10分しか原爆資料館にいなかった。何を見て来たのか」と不満の声を上げた。


「リーマン・ショック前夜」の薄弱すぎる根拠 いったい誰が分析資料を作ったのか? | 外交・国際政治 - 東洋経済オンライン ; 外務省経済局政策課の首席事務官が「作成責任者は誰かわからない。どういう経緯で作られたのかは説明できない」と述べた / 資料は、自民党の稲田政調会長さえ見たことのない資料だった。



「リーマン前」に異論 新興国の指標に唐突感 (朝日新聞) ; 安倍首相が「世界経済はリーマン危機前の状況に似ている」とG7サミットに示した「4枚の資料」を読み解きます。そもそも政府の月例経済報告が「全体としては緩やかに回復している」としたばかり。エコノミストたちは「違和感」を口にしました。 — 冨永 格 / 「リーマン級のリスク」G7で溝 増税再延期の口実に? 「アベノミクスの失敗」という批判をかわしたい考え:朝日新聞


2016年5月27日金曜日

小倉遊亀(1895-2000) 『浴女 その一』(1938昭和13年) 『浴女 その二』(1939昭和14年) (国立近代美術館常設展示MOMATコレクション) 2016-05-12

▼小倉遊亀(1895-2000)
『浴女 その一』(1938昭和13年)
女性が描くと裸婦でもエッチな感じがしない。そういう感想が聞こえてきそうですが、そもそも裸婦はエッチに(欲情的、扇情的に)描こうとしなければ、ただの裸の人間にすぎません。
この作品に清潔感があるのは、旧来の入浴図によくうかがわれる窃視趣味やチラリズム、あるいは流し眼やシナ、上気した肌といった細工が仕組まれていないからです。
作者の関心は、タイル張りの湯船に温泉がゆらめいて、縦横の格子模様がゆらゆらとひしゃげる様子にあったといいます。
となりの《浴女 その二》と対になる作品です。


▼小倉遊亀(1895-2000)
『浴女 その二』(1939昭和14年)


参考



安倍首相のサミット発言「リーマンショック級の危機」に世界中から失笑! 仏「ル・モンド」は「安倍のお騒がせ発言」と (リテラ) / L’alarmisme de Shinzo Abe surprend le G7  (安倍晋三のデマ、G7を驚かす) / ブルームバーグによるサミットの総括。国内政治の都合により、世界経済が危機的であるとしたかった日本の提案は却下された/Japan Fails in Bid to Have G-7 Warn of Global Crisis Risk







焦点:サミットで経済認識一致せず、危機強調の裏に増税延期模索の声(ローター) ;  「日本との温度差が鮮明になり、最大のテーマだったはずの世界経済で、G7の結束が揺らいだ格好だ。」 / IMF専務理事「危機の中にいるわけではない」(日本経済新聞) ; 三重県伊勢市で記者団の質問に答えた(直後にもう否定されてる)。


(略)

あるG7外交筋は、匿名でロイターの取材に応じ、安倍首相がことさら経済の弱さを指摘するのは、消費増税を延期したい思惑があるからだと指摘した。危機感を世界で共有することで、安倍政権が増税延期の大義を得ようとしているのではないかとの見方だ。

(略)

その政府関係者は「G7の中でも著しく成長率の低い日本から、財政出動を呼びかけられたことに疑問を感じた国も多いだろう」と振り返った。



日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の坪井直代表委員 ; 坪井さん(オバマに向かって)「あの事件は既に歴史の一コマであり不幸な一コマであった。アメリカではなく、人類の過ちであった。未来に向かって頑張りましょう。プラハ演説でノーベル平和賞を取ったのだから、遊んどったらダメですよ。未来志向で、駆け引きのない世界を作り上げましょう」 / 「これからが大事だ。『時々広島に来て』と言ったら、(オバマ氏の)握手が強くなった」


















「第三者」を繰り返す舛添知事に、「第三者委員会」の社会的信用向上を目指す弁護士らが「第三者委員会像を汚染し続けている」と憤っています / 花柳流裁判の会見でファッションが注目を集めた久保利英明弁護士。司法記者クラブであったこの日の会見では、白のスーツで登場。 ← 甘利は「第三者」というワードは使わなかったけれど、中味は枡添と同じ。甘利の時はノーアクション?



オバマ大統領の広島訪問で厳重な警備をくぐりぬけた猫が話題「SPか?」「人類は何をやっているのか」 - Togetterまとめ

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》インドネシアの大量虐殺者のドキュメンタリー映画。内容が激重ですが29日まで無料なので是非 GYAO ← ちょっとキツイ映画だ


▼参考


アクト・オブ・キリング

わかりやすい記事だった

「トップとして投下謝罪を」 祖父が被爆、山本モナさん:朝日新聞デジタル ; 米国は一発の原子爆弾で多くの市民を殺傷した歴史の事実を検証する作業をきちんとしたでしょうか。無差別虐殺をした国のトップとして謝罪するべきです。

G7で安倍首相が唐突に「世界経済はリーマンショック直前と似た状況」と言いだした件、お追従組の読売・産経は曖昧に報じたが、さすがに経済が売りの日経は中面で明確に否定。各国が自国メディアにどう説明したかの表では、仏しか安倍に同調しておらず、オバマは話題にもしていなかったと報じている。 — 本間 龍





詩人茨木のり子の年譜(3) 1950(昭和25)24歳 同人誌「櫂」発行 ~ 1955(昭和30)29歳 第一詩集『対話』刊行

2016-05-22 海の見える丘公園ローズガーデン
*
(その2)より

1950(昭25)24歳
芝居や戯曲の台詞における「詩」の欠如に気づき、詩の本格的な勉強を始める。
雑誌『詩学』の投稿欄「詩学研究会」を始める。
投稿に際し「本名では何やら恥しい」のでそのときラジオから流れてきた謡曲の「茨木」をペンネームに決める。のり子は本名のまま。
詩「いさましい歌」が選ばれ、この年の9月号に掲載される。村野四郎、嵯峨信之、長江道太郎、鮎川信夫、木原孝一、各氏の選。
その後、「焦燥」(昭和26年)、「魂」「民衆」(昭和27年)を「詩学」に投稿。

茨木のり子の詩がはじめて活字となったのは、雑誌「詩学」の投稿欄、「詩学研究会」である。
表題は「いさましい歌」。一九五〇(昭和二十五)年である。
「「櫂(かい)」小史」 に、詩を書きはじめた当時のことを回想している。

《昭和二十四年の秋に私は結婚していて、所沢町に住み、翌二十五年くらいから、詩を書こうとしていた。詩を書きたいという欲求もさることながら、言葉を鵜匠のように、自由自在に扱ってみたい、言葉をもっとらくらくと発してみたい、言葉に攫われてもみたいという強い願望があり、そのためには詩を書くことが先決のように直感されたからであった。
詩の師を探す気特はさらさらなく、仲間もなく、ただ自分一人でこつこつ書いていこうと思っていた。その頃、本屋に毎月きちんと出ていた「詩学」という詩誌があり、詩学研究会という投稿欄もあって、選者は村野四郎氏だった。
一人で書いているのは、いくらか心細くなったとみえ、どこの誰ともわからない者の詩として、村野四郎氏に一度見てもらいたくなったらしい》

詩学研究会を足場に成長していた詩人は茨木の他、川崎洋、谷川俊太郎、山本太郎などがいる。のちに『どくとるマンボウ航海記』などで知られる作家の北杜夫も研究会への投稿者だった。
(『清冽』)

1953(昭28)27歳
3月、川崎洋との出会い。

川崎と茨木の出会いは一九五三(昭和二十八)年三月。「同人誌をやりませんか」という川崎の手紙に応えた茨木が、未知の差し出し人と東京・八重洲口で待ち合わせたのがはじまりである。
・・・茨木二十六歳、川崎二十三歳。「櫂」の名づけ親は川崎である。
(『清冽』)

5月、同人誌「櫂」創刊。創刊号は川崎洋・茨木のり子の二人だけの同人誌だったが、二号からは谷川俊太郎、三号から舟岡遊治郎・吉野弘、四号から水尾比呂志が参加し、その後の第二次戦後派の詩人を多数輩出するようになった(ほかに、友竹辰、大岡信、岸田衿子、中江俊夫らが参加)。

出会いから間もなくして、川崎の「虹」、茨木の「方言辞典」の二編を載せた六ページの創刊号「櫂」が刊行されている。部数百二十部。文字通り、か細い二本の櫂によって漕ぎ出された箱舟だった。
二人で創刊の祝いを新宿の喫茶店でしたものの、「その日、(五月)二十四日は夫の月給日の前日で、川崎さんと割り勘で、ライスカレーと珈琲のんだら、お金がすっからかんとなり、電車賃にぎりぎりで、ほうほうのていで帰った」とも茨木は書いている。
創刊号の反響として、戦後詩の第一人者、鮎川信夫より、茨木のもとに 「いたましい気特であなたたちの詩を読んだ。詩学研究会で知ったぼくの最も好きな詩人であるあなたたちの詩が、これからどのような発展をし、どのような試練に耐えてゆくかに深い関心を抱いています。あなた達がすぐれた素質を持っておられるだけに、ぼくの不安も人ごとでなくなります」と記した葉書が届いたとある。
その後、同人は一人増え、二人増え、やがて九人のメンバーを数えるようになるが、「背骨は川崎さんと茨木さん」(谷川)であり続けた。
創刊からほぼ一年、第六号ころでいえば、発行部数は二百部、費用は一万二千円を要したとある。
国家公務員の初任給の比率で換算すると、現在に置き換えれば三十万円弱になろうか。
費用分担は川崎が半分、茨木が四分の一、残りを同人費で埋めるということになっていた。茨木は費用捻出の手助けとして、毛糸のネクタイ織りの内職をはじめたとも記している。

(「櫂」同人)女性は茨木一人であったが、岸田衿子が加わることによって複数となった。
岸田衿子は一九二九(昭和四)年生まれ。劇作家・岸田国士の長女。次女はのち女優となる岸田今日子である。

一九五三(昭和二十八)年から五五(昭和三十)年にかけて十一冊刊行されている。一旦、休刊されるが、十年後の一九六五(昭和四十)年になって復刊され、第二期「櫂」が始まる。同人たちの付き合いは休刊中も途絶えることなく続き、「仲良しクラブ」と揶揄された。
「櫂」で見られる茨木作品の最後の作品は「笑う能力」(第33号、一九九九年二月)であるが、生涯、茨木は同人であり続けた。

詩誌グループにも活気があった。戦後に復活した「歴程」には新旧の詩人が集まり、鮎川信夫、田村隆一、吉本隆明、黒田三郎らが主導する「荒地」は実存的色彩が色濃く漂い、関根弘、長谷川龍生、黒田喜夫らが集う「列島」は社会派とも呼ばれた。
(『清冽』)

1955(昭30)29歳
11月、第一詩集『対話』を不知火社より刊行。

茨木のり子の第一詩集『対話』(不知火社、一九五五年)に収録された「根府川の海」・・・
茨木の(戦争詩)といえば「わたしが一番きれいだったとき」が有名であるが、「根府川の海」ほそれと並ぶ代表作であろう。
詩句にあるように、詩は戦後八年たった一九五三 (昭和二十八)年、「詩学」に発表されている。
エッセイ「「櫂(かい)」小史」(『現代詩文庫/茨木のり子詩集』)のなかでは、この詩を記した日をこう回想している。

《たまたまその日は、成人の日で休日。夫と一緒に新宿へ映画「真空地帯」を観にゆくことになっていたが、一寸待ってもらって、原稿用紙に向い、十分位で、ちゃらちゃらと書いたのが「根府川の海」である。既に私の心のなかに出来上っていたとも言えるが、今ではもう、あんなふうに気楽には書けなくなってしまっている》

茨木のり子のはじめての詩集『対話』 は、「櫂」のスタートからいえば二年後、一九五五(昭和三十)年、二十九歳の年に刊行されている。
エッセイ「第一詩集を出した頃」(『増補 茨木のり子』)によれば、版元は不知火社、部数四百部、定価二百五十円であった。
不知火社の”社主”は、川崎の従兄弟で福島康人という九州男児。社名は八代海にあらわれる火影にちなんでつけられたという。社にとっての処女出版が『対話』であった。
案の定というべきか、詩集はさっぱり売れず、不知火社はこの一冊をもって消滅している。

『対話』には「根府川の海」「対話」「方言辞典」など十七編が収録されているが、冒頭に据えられている作品は「魂」である。
(『清冽』)

そうして翻って、最初の詩集『対話』に戻ると、「いちど視たもの - 一九五五年八月十五日のために - 」という詩にふと目が留まった。歴史は動いていく。過去、学校で習ったことより、自分の肉眼で視たもの、それをよりどころに生きていこうという詩だ。
・:・・
戦争が終わり、この詩人のなかには自分の目でものを見、生きようという雑草のごとき欲望が沸き上がってきたのだと思う。そう、この「生きよう!」という自らの声は、晩年に空ろまで、茨木のり子の体を貫いていた。そしてそれは、民族の違いを越え、一人の人間と一人の人間としてつながりあいたいという、理想主義的な願いとなって、いくつかの詩のなかに結晶した
(小池昌代「水音たかく - 解説に代えて」谷川俊太郎編『茨木のり子詩集』所収)
*
*

(その4)に続く








NHKで安倍晋三が「アベノミクスを世界に展開してまいります」「アベノミクスのエンジンをもう一度最大限ふかしてゆく」とか世界が見てるのに安倍ポエムを読み上げ…。ポエム中で「リーマンショック」を連発してテロップもそれをサポート。 / 安倍;「アベノミクスを世界に展開してまいります」 日本で破綻したものを世界に広げるってか。 / 総理の「リーマンショック前に似ている」との発言の根拠資料が、「(政府内の)どこで作成されたかわからない」(外務省)という驚くべき答弁が飛び出しました。経済分析を担当する内閣府も「(資料を事前に)見たこともない」という有様。




▲NHKは報道機関ではなく、政府の広報機関

2016年5月26日木曜日

国内報道では、「安倍のリーマンショック再来懸念に対して一部に不協和音」みたいな生ぬるい言い回しだったが、英「タイムズ」紙ははっきりと、世界のリーダーが安倍に不同意と書いてある。 World leaders disagree.. / 世界経済のリスクで認識が一致と述べる安倍に対して、一部の首脳から異議(英国は反対とフィナンシャルタイムズ)と報ステ。財政出動についても英独は反対。 / 原真人・朝日編集委員「とんちんかんな印象。他の首脳は驚き、あきれたのではないか。非常に違和感がある」 「世界一の借金大国が財政出動を持ちかけるのは、他国にすれば『冗談もいい加減にしろ』ということ」 / 安倍首相「世界経済がリーマン前みたいだから消費増税延期するよ!」メルケル・キャメロン・野党・市場「はぁ?」 | BUZZAP!(バザップ!)

















▼楽しい?





憲法を考える(『朝日新聞』) 自民改憲草案 自由(上) 責任・公の秩序 自覚求める / 自由(中) 「ほどほど」では、自由でない / 自由(下) 自分の自由 吟味する覚悟も

*
憲法を考える 自民改憲草案
自由(上) 責任・公の秩序 自覚求める (『朝日新聞』2016-05-19)

 自由ってなんだ?

 自民党憲法改正草案12条には、こうある。「国民は、これを濫用(らんよう)してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」

 説教くさい。

迷惑かけない「当然のこと」

 あなたたちは自由です。でも濫用はだめ。責任と義務を自覚しなさい。公益及び公の秩序に反してはいけません - 。条文に新たに付けられたタイトルは「国民の責務」。自民党はQ&A集で説明する。「個人が人権を主張する場合に、人々の社会生活に迷惑を掛けてはならないのは、当然のことです」

 当然のこと・・・。あれ? この言葉のトーン、「あの時」に似ている。20年前の光景を、ふいに思い出した。

 「そんなわがままは社会で通用しないぞ」

 小学6年の夏。私が「中学で坊主にはせんから(しないから)」と切り出すと、先生からこんな答えが返ってきた。通うことが決まっていた岡山県倉敷市立の中学校は「男子は丸刈り、女子はおかっぱ」が校則だった。いがぐり頭に詰め襟の学ラン姿。一面に広がる田んぼの中をヘルメットをかぶって一列に並び自転車を走らせる。ださい。おしゃれに目覚めつつあった私は、どうしても嫌だった。

 日ごろは優しく、親切な先生だった。最初は諭すように。次第に声が冷たくなり、最後は怒声に変わった。

 「校則は社会のルール。守れないやつは犯罪者と同じだ」

 自分の髪形が、どうして社会のルールの話になるのかよくわからなかった。でも先生には「当然のこと」のようだった。

 結局、受験して私立中学に入学し、丸刈りは免れた。でも、私と先生の「当然」が違う時、先生の「当然」が正しいのが社会なのか? 私は「犯罪者」なのか? 少し後ろめたかった。

 中学入学後、そんな後ろめたさを解消してくれる本を偶然、書店で手にした。1990年に出された「生徒人権手帳」だ。89年に国連で採択された「子どもの権利条約」に基づき、「体罰をうけない」「集団行動訓練を拒否する」「自分の髪形は自分で決める」といったことは、子どもが持つ権利だと説明していた。他人がなんと言おうとも個人の自由は尊重される、と。

 現行憲法97条も、わざわざ明記している。「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると。

 ではなぜ、自由を主張すると警戒されるのか。「大人は、鋳型のような『よき子ども像』を勝手に描いていますからね」。「手帳」の筆者の一人で、当時、学校の校則問題に取り組んでいたノンフィクションライターの藤井誠二さんは、そう振り返る。「鋳型」から外れると子どもは不幸になる。規則で縛ってあげないといけない。それが子どものためなのだ - 。

 だが藤井さんは言う。「仮に善意でも、相手を縛る規則をつくるのは結局、相手を信用していないからです」

 なるほど。改憲草案をつくった政治家には、国民が「子ども」のように見えているのかもしれない。

 (高久潤)

憲法を考える 自民改憲草案
自由(中) 「ほどほど」では、自由でない (『朝日新聞』2016-05-20)

 「ほどほどの自由」

 自民党の憲法改正草案の「自由」に対するスタンスを追うと、そんな印象を持つ。

 「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」だと明記した現行憲法97条は、削除。

 表現の自由を定めた21条には「公益」や「公の秩序」を害することを目的にしてはならないとの文言が追加され、「自由」は念入りに制限を掛けられる。

 だが、「ほどほどの自由」しか許されない社会とは、どんなものなのだろう? 今年1~3月、TBS系列で放送されたテレビドラマが、ひとつの答えを与えてくれる。

 「わたしを離さないで」

 原作は英国の作家カズオ・イシグロの長編小説。他人に臓器を提供する目的で作られた「クローン人間」が主人公だ。

 人為的に作られたということ以外「普通」の人間とほぼ変わらない主人公たちは幼少期から「あなたたちは臓器提供の使命を持った天使だ」と教え込まれる。クローン同士の恋愛や、生活の自由はあるが、臓器提供の拒否は決して許されない。

 ドラマでは原作にない独自の設定として、そんな「ほどほどの自由」を疑う少女「真実(まなみ)」が登場する。真実は仲間とひそかにクローンの権利を訴える活動を計画する一方、周囲に順応しがちな主人公に、私たちの人権は侵されている、と伝えようとする。「誰にだって幸せを追求する権利があるのよ」。紙切れに記されたのは現行憲法13条

 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 美しいはずの「他者」や「公」への奉仕が個人の身体や心を侵食していく不気味さ - 。

 自民党の伊吹文明元衆院議長が4月、講演でこんな発言をしていたことを思い出した。

 「皆が公のことを考える強靱(きょうじん)な日本人をつくらなければならない」

 今の日本社会を「パチンコ屋の前で良い台を取ろうとして、開店を待っていてもなんとか食べていける国」と嘆く伊吹氏。憲法に直接関係する発言ではないが、自民党議員からは幾度となく、個人が自分のことばかりを主張し、公の秩序が乱れているのではないかという危機感が表明されている。

 憲法学者の山元一・慶大教授は言う。「公の秩序と個人の自由を対立させ、『公』に『自由』を服属させた途端、権利としての自由の価値は根幹から破壊される。もはやそれは、自由とは言えません」

 ドラマの第6話。真実らの権利活動は警察の知るところとなる。追いつめられた真実は街頭で手首を切り、自分は天使などではなく人間だ、と訴える。自分の心も身体も、自分のもの。それが許されないなら「どうか何も考えないように作って」。

 「ほどほどの自由」は、自由ではない。自ら命を絶った真実の姿が、その「真実」を私たちに突きつけてくる。

 (高久潤)

憲法を考える 自民改憲草案
自由(下) 自分の自由 吟味する覚悟も (『朝日新聞』2016-05-21)

 「リベルテ(自由)! リベルテ!」

 2015年1月、パリ中心部の共和国広場に、無数の声が響き渡った。

 イスラム教の預言者ムハンマドへの風刺画などで知られる週刊新聞社が、イスラム過激派によって襲撃され、12人が死亡したテロ事件。市民たちは抗議の意思を「リベルテ」の言葉に託し、練り歩いた。その数はパリだけで120万人以上。1944年、第2次世界大戦中の「パリ解放」以来の大行進だった。

 怒りと高揚が渦巻く中、うつむき立っている女性の姿が、取材中の私の目に留まった。

 友人に誘われてきたというパリ郊外在住のドルカス・マキーヤさん(25)。なぜ参加したのか尋ねると、テロへの抗議、言論の自由の大切さをよどみなく語り、少し間をあけて、付け加えた。「私はイスラム教徒。この状況で、参加を断れないでしょ」

 自由という理念は輝かしいし、なんだか人をワクワクさせる。ただ同時に、ある人の自由が、他人の自由を侵したりする場合もあることを私たちは経験的に知っている。自分が大事に思う価値や権利を主張することが、他人のそれを抑圧したり、侵害したりしていないか?

 私の自由と、他人の自由。それがぶつかったときの調整弁として、現行憲法が設けているのが「公共の福祉」だ。13条は、自由については国政上、最大の尊重を必要とするが、「公共の福祉に反しない限り」との条件をつけている

 だが、調整はなかなか面倒だ。2004年、自民党憲法調査会憲法改正プロジェクトチームの議論では「こういう風にものを考えれば幸せになれる、ということを国に規定してほしいと多くの国民は願望しているのでは」と発言した議員もいた。

 経済的自由が行き過ぎた結果としての格差拡大が問題視されたり、表現の自由の名の下でのイスラム教への風刺が強い批判にさらされたり。昨今、とかく自由は分が悪い。自民党改憲草案にあるように、自由より「公の秩序」を優先した方がいい。その主張に同意しないまでも、ひかれる人は多いと思う。「こうしなさい」と誰かに決めてもらった方が、正直楽だ。「公の秩序」を優先して、ややこしい問題が解決するなら結構なことではないか。

 しかし、法哲学者の井上達夫・東大教授は「『公の秩序』に委ねたところで問題は解決しない」と指摘する。

 「自由への不信の根幹にあるのは、自由の主張が他者への不正な支配に転化することへの怒りや反発です。自由を主張する者が、同じく自由を求める他者の視点からでも、それを正当化できるか、批判的に吟味し続けるしか、自由を守ることはできません」

 なんとも面倒くさい。でも、時にぶつかりながら、自分と他人の自由に折り合いをつける面倒くささを個々人が引き受ける以外に、自由な世界を成り立たせるすべは、おそらく、ない

 自由には責任が伴う。自民党改憲草案12条の言葉が、そのような意味で用いられるのであれば、正しい。

(高久潤)