2016年10月15日土曜日

明治39年(1906)3月11日~20日 東京市街鉄道運賃値上げ反対第1、2回市民大会(第2回大会は兇徒嘯集事件となる) 「この頃東京では、近来結社した社会党員の発起で、電車賃引上反対市民大会が二度開かれた。一千有余の群集が、決議文を朗読してから、市役所に推しかけ、街鉄の本社に石を投じ、昨年九月の騒擾を再現しかねまじき勢であった。」(3月20日啄木日記) 漱石が『坊っちゃん』を書き始める 堺利彦主筆「社会主義研究」創刊(5号で廃刊) 

横浜 山下公園 2016-10-14
*
明治39年(1906)
3月11日
・日本社会党、国家社会党(山路愛山ら)、田川大吉郎・細野次郎ら自由主義者と共に東京市街鉄道運賃値上げ反対第1回市民大会開催。参加1千余。司会山路愛山。解散主張の山路と示威行進主張の堺衝突。森近、深尾、堺、山口、西川ら60人行進。

東京市内には、明治36(1903)年から翌年にかけて街鉄、東電、外濠の三つの私営電車会社が開業、それがこの年(1906)6月に合併して東京鉄道会社となり、1911年に東京市が買収して東京市電となった(現在は荒川線のみが残る都電の前身)。
日露戦争当時、電車賃は3銭均一と安く、市民の足として定着していた。ところが、3社それぞれ5銭に値上げするというので、日本社会党は、山路愛山らが創立した国家社会党やその他の市民団体と共同で、反対運動を起こすことになった。

「日本社会党が労働者擁護の旗をかかげつつも、各地のストライキにたいして拱手し、わずかに手近な電車値上反対運動に全力を傾注したことは、その小市民的性格を如実に示したものといえるが、一つは、国家社会党、新紀元派その他のいわゆる社会主義派の総連合運動にしようとしたためもあった。- その第一撃を電車問題に加えたのは、三十九年三月十一日のことであった。午后一時日比谷公園芝山に集まれと日本社会党の名で呼びかけた。その日は雨もあって来会者は少く、三四百人の人々が集まった。- 山路愛山が決議文を朗読して会衆の賛成を得、今日は雨だから来る十五日を期して第二の大会を此処に閲くべしといい、散会後堺伯川を先頭に例の旗を雨中に押し立てて内相官邸にむかった。-」(田中惣五郎「日本社会運動史(中)」-本期明治時代)

「昨年の日比谷の戦争終結不満の焼打ちさわぎにも集まったこの群衆には、社会党のこの動きはおだやかすぎて物足らなかったらしい。」(木下尚江「鳴呼三月十一日」(『新紀元』6号))。
*
3月11日
・小宮豊隆は漱石の書簡から、漱石が『坊っちゃん』を書き始めたのはこの年3月11日頃と推定している(1937年12月岩波文庫版「解説」)。
着想を得たのは、「腹案有たといふ次第でも有ません、さやう三日計り前に不意と浮かんでずるずると書て了つたんです」(『国民新聞』明治39年8月31日)という漱石自身の言葉から、3月10日前後と思われる。
2月中、漱石が英語学試験委員を辞退したことから教授会とこじれる。このいざこざに憤慨し想を得たともいわれるが、それだけが執筆動機ではないとの説もあり。
書き上げたのはおそらく3月25、26日。

3月23日付、高浜虚子宛ての手紙に
「拝啓新作小説存外長いものになり、事件が段々発展只今百〇九枚の所です。もう山を二つ三つかけば千秋楽になります。」
と書いている。
*
3月12日
・東京市会、運賃値上げ4銭均一に決定
*
3月12日
・4月30日に大観兵式を青山練兵場にて行う旨発表(この観兵式は明治における最大の祝典となる)
*
3月13日
・第1師団招魂祭、青山練兵場にて挙行。
「遺族の参拝者午前六時より陸続詰め懸け信濃町停車場より下車するもの街鉄青山線を利用して来る者引も切らず」(読売新聞)
*
3月13日
・臨時軍事費予算4億5,045万円追加公布。合計で15億3,045万円。
*
3月14日
・五十嵐健治、洗濯業白洋舎を東京日本橋呉服町に開業。
*
3月14日
・吾妻隼人(山中峯太郎)処女小説「真澄大尉」(「大阪毎日新聞」連載、~5月26日)。日露戦争での軍事探偵の物語。原稿料200円。峯太郎は、養父の説得により6月、陸軍士官学校(第19期)に復学(今村・本間と同期)。
*
3月14日
・仏、サリアン内閣成立。
*
3月15日
・東京市電運賃値上反対第2回市民大会激化(兇徒嘯集事件)。司会加藤時次郎。日比谷公園。
反対デモ1,600人が市役所・東京市街鉄道本社に押しかけ、電車に投石。軍隊、騎馬巡査出動。
集会後デモ中、西川光二郎、大杉栄(21)、山口義三、斉藤兼次郎、樋口伝、深尾韶、吉川守圀、竹内余所次郎ら社会党員10・他11名拘引。
共同弁護人花井卓蔵・今村力三郎・高木益太郎・布施辰治(山口孤剣担当、初めての社会主義者弁護)。
6月21日、保釈。この値上げ問題は政府の不許可でひとまず治まる。まもなく、3会社が合併、値上げを再申請、政府はこれを認可。再び、反対運動。
9月5日、諸団体連合市民大会で社会党は「乗らぬ同盟」を提議、可決される。

「さて待望の三月十五日になった。その日は朝から寒く、強い風が吹いていた。しかし第一回の大会の会主である堺が一向に現われない。その間に、穏健派の加藤時次郎、田川吉富郎が少し藤棚のある丘で集会をはじめ、さっさと解散しだした。機を逸しては大変とばかり、いそいで西川が立上り、開会中の市会へデモをかけようと呼びかけた。それを合図に、『電車値上反対』『三銭均一万歳』『大示威運動』『我々は市会の決議を無視す』と大きく書かれた四本の赤旗を、山口、大杉、深尾、樋口がかついで芝山を駈け下り、デモの先頭に立った。デモは前回同様、東京市街鉄道会社を襲い、会社の窓ガラスを目がけてばらばらと石が飛んだ。だが、会社の方からはなんの手答えもないので、デモ隊は山下見付の電車線路を占領、電車は不通になり、運転手は一目散に逃げだした。その後、デモ隊は二手に分れ、一隊は鍛冶橋を通って市会へ、別の一隊は、東京市街鉄道会社変圧所の板塀や窓ガラスをこわしたりしながら、これまた市会へ向った。しかし、市会にも人影一つ見えなかった。デモ隊は市役所土木課などの建物を市会議事堂とまちがえて投石するなど暴れ廻り、馬場先門付近で線路工事をしていた三十人ばかりの土工も、鶴塀などをかついでデモ隊に合流した。そのため神田橋から日比谷へ行く電車は、みんなストップしてしまった。この頃になって警官隊が騎馬巡査を先頭に鎮圧に駈けつけて来た。それを見た西川は、『これで今日は解散する』と群衆に挨拶したが、納まらないのは戦闘的な土工たちであった。彼らは『ここまで人を連れて来てこのまま解散するとは卑怯千万だ』と西川らに詰め寄り、西川たちはその勢いに怖れをなして、逃げ出すような始末であった。」(吉川守邦「荊逆星霜史」)
*
3月15日
・堺利彦主筆「社会主義研究」創刊(由文社)。社会主義運動史上最初の専門研究雑誌。8月1日、終刊(5号)。
先に、堺と秋水が『平民新聞』に「共産党宣言」を翻訳して掲載したが、発売禁止になる。大審院判決は、宣伝目的で掲載するのは禁ずるが、研究のためなら発表してかまわない、というものだった。そこで堺はこの判決を逆手に取って、『社会主義研究』創刊号の巻頭に「共産党宣言」全文を翻訳して掲載した。政府はこれは黙認せざるをえなかった。しかし、『社会主義研究』は思ったほど売れず、経営が困難になって第5号で終刊する。
この号は、巻頭の「共産党宣言」のほか、リープクネヒト稿・志津野訳の「マルクス伝」、カウツキー稿・堺訳の「エンゲルス伝」、大杉栄の「万国社会党大会略史」を掲載。
*
3月15日
・田辺、夜、菅野須賀子、市内ミス・レビット(婦人宣教師)宅での田辺婦人矯風会例会出席。
翌16日、社長柴庵の病夫人を見舞い、夜、妹・寒村と3人で稲荷屋に琵琶歌を聞きにゆき、帰宅後、夜更けまで社会主義論をやる。
*
3月16日
・第5回日比谷焼き打ち事件公判
*
3月16日
・日本興業銀行、韓国政府と起業資金千万円貸付の契約を締結。韓国政府貸付金と、釜山水道事業及び韓国各地農工銀行に対する資金の融通を契約。
*
3月16日
・鉄道国有法、議会通過。目的は全国の主要鉄道の買収。
*
3月17日
・台湾嘉義地方で大地震。全半壊10,400戸、死者1,258人、負傷者2,390人。
4月14日に再び大地震。
*
3月17日
・電車賃値上げの第3回市民大会の計画を警視庁が開催禁止
*
3月18日
・禁止の市民大会、上野公園にて挙行。
「旗竿の竿頭高く皇室中心社会主義大日本青年議団と大書せる旗ハ翻へり集団一斉に拍手歓声之を迎へたるが巡査ハ直ニ旗を引上げたる青年二名拘引」。実際の拘引者は6名。
電車被害「午後二時十分頃南行第一一五号が上野山下筒井牛肉店の前まで進行し来るや群衆一時に押し寄せ、その中の一人突然車掌清水竹次郎に向つてステッキを以て打ち蒐り同人の腕に軽傷を負はし且つ同時に硝子三枚を破壊したる」(読売新聞)
*
3月19日
・野口寧斎殺しの野口男三郎公判廷(当時、話題となった人肉事件。男三郎が美男であったため、公判廷に女学生がつめかけた)
*
3月19日
・駐日英大使、西園寺外相に対し満州における日本官憲の通商妨害抗議。門戸開放、機会均等などの実行申し入れ。26日、米駐日大使も同様の抗議。
*
3月19日
・内務省、京都第2疏水開削工事、宇治川水力発電事業認可。
23日、山城治水会・淀川沿岸住民150人が府庁へ押しかけて反対を陳情。内務省・京都府はこれを却下。
*
3月19日
・独、アイヒマン、誕生。ナチス親衛隊長。
*
3月20日
・この日付け啄木の日記。
「この頃東京では、近来結社した社会党員の発起で、電車賃引上反対市民大会が二度開かれた。一千有余の群集が、決議文を朗読してから、市役所に推しかけ、街鉄の本社に石を投じ、昨年九月の騒擾を再現しかねまじき勢であった。」

「余は、社会主義者となるには、余りに個人の権威を重じて居る。さればといって、専制的な利己主義者となるには余りに同情と涙に富んで居る。所詮余は余一人の特別なる意味に於ける個人主義者である。然しこの二つの矛盾は只余一人の性情ではない。一般人類に共通なる永劫不易の性情である。自己発展と自他融合と、この二つは宇宙の二大根本基礎である。」

「たゞ茲に、意志の世界と愛との関係は猶依然として哲学上不可解の疑団として残つて居る。この問題の解決は、実に我が人生観最後の解決であらねばならぬ。
茲に一解あり、意志といふ言葉の語義を拡張して、愛を、自他融合の意志と解くことである。乃ちシヨウペンハウエルに従つて宇宙の根本を意志とし、この意志に自己発展と自他融合の二面ありと解する事である。」
*
3月20日
・臨時事件公債発行。総額2億円。利率5分。
*
3月20日
・帝国図書館開館式(東京上野)。久留正道設計。
*
3月20日
・シチリア島沖のウスティカ島、火山の大噴火で壊滅。
*
*

0 件のコメント: