2016年10月21日金曜日

明治39年(1906)3月22日~31日 「僕は理想的、革命的、急進的ならんことを欲す。微温的社会主義、砂糖水的社会主義、国家的社会主義を好まず」(幸徳秋水「桑港より」) 島崎藤村「破戒」を自費出版 売行き好調 「明治の小説として後世に伝ふべき名篇也。金色夜叉の如きは二三十年の後は忘れられて然るべきものなり。破戒は然らず。僕多く小説を読まず。然し明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ」(漱石の森田草平宛手紙)

横浜 海の見える丘公園 2016-10-14
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明治39年(1906)
3月22日
・初の国際ラグビー試合(パリ)。英、仏に35対8で勝利。
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3月22日
・この日、幸徳秋水が日本に送った「桑港より」。

 「近時、米国社会党中、其運動政策に関して二派の議論闘はされつつあり、一は主として殊に独占的事業のパブリック・オーナシップ(国有若くば市有)を提げて選挙場裡の武器となさんとし、他は純乎たる社会主義の理想を以て旗幟となさんとする者也。

 前者は曰く、吾人は一歩は一歩より着々労働階級の実際の利益を増進するに力めざる可からず、単に理想をのみ見て、目前現実の問題を等閑に附するは不可也、独逸同志の常に優位を占め、英国同志の今回選挙に勝利を得たる、皆な直接に労働者の利害に関する実地問題を選挙の綱領となせば也と。

 後者は曰く、今の所謂国有私有は、賃銭制度を廃絶する者に非ずして、単に政府若くば自治体てふ資本家を以て、私人の資本家に代ふるに過ぎず、社会主義は根本より貨銀制度を廃絶するを主張す、今日の制度の下に国市有を賛するは、是れ社会改良家、国家社会主義に向つて譲歩する者也と。

 此両者の争ひは今後益〃盛んなるを致すべし。(略)足れ我等日本人社会党の大に研究を要する問題にして、僕は我等日本人社会党が、将来斯る意見の相違の為めに争訌し分離するが如きことなからんことを祈る。然れども僕をして、二者其の一を択ましめば、僕は理想的、革命的、急進的ならんことを欲す。微温的社会主義、砂糖水的社会主義、国家的社会主義を好まず。」
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3月23日
・第6回日比谷焼き打ち事件公判
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3月23日
・運賃値上げ、3社は願書を取り下げる
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3月25日
・清国、教育宗旨5条宣示。
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3月25日
・島崎藤村、「破戒」を自費出版。
四六判仮綴じ、切り落しで578頁、表紙は薄緑色を地にして、緑蔭を思わせる濃い青色で題字が印刷されている。口絵2葉、地図1葉入り、定価70銭。藤村は、以後の著作をこの形式の自費出版で刊行し続ける積りで、この書の表紙に「緑蔭叢書第一篇」と刷り込んだ。
見返しには、「緑蔭叢書は藤村の著作を刊行するものにして、一年一冊もしくは二年一冊、成るに随ひ篇を重ぬるの予定なり。されば世にある多くの叢書に比べて、多少其性質を異にするもの。紙数の如き毎篇必ずしも、一定し難しといヘども、板本の素質はすべて読者のために親切ならむことを旨とす。」とある。
扉には、「この書の世に出づるにいたりたるは、函館にある秦慶治氏、及び信濃にある神津猛氏のたまものなり。労作終るの日にあたりて、このものがたりを二人の恩人のまへにさゝぐ」と印刷されてある。藤村は浄書した原稿を製本して神津猛に贈った。

「破戒」の売れ行きは、予想をはるかに越えた。
この日、初版1500部のうち製本の出来上った550部を神田の上田屋へ届けた。藤村は、本を積んだ荷車の後について、数寄屋橋の秀英舎から神保町の上田屋まで、足駄ばきでついて歩いた。そして、店員たちに丼ものを取って労をねぎらった。だがその本の部数が揃わぬうちに売捌店からの取りものが殺到して、それに応じ切れなくなり、やむなく上田屋では本を2階に隠し、28日になって全部揃ってから売り出した。
発売の広告の出たのは4月1日であるが、5日頃すでに再版1500部の印刷に取りかかった。その売れ行きは藤村を喜ばせたが、また不安にもし、薄気味悪くも感じさせた。

藤村が「破戒」を書いている間、妻の冬子の苦労は大きかった。
上京早々2歳の三女を失い、そのあとお産をした。仕方なく女中を使ったが、出版計画のために家計は極度に切りつめなければならなくなった。そのためか彼女は栄養失調になって夜盲症にかかった。
「破戒」再版を印刷中の4月7日、5歳の次女孝子が急性腸カタルにかかり、本郷の大学病院で急死した。
更に、7歳の長女緑は5月末頃からハシカにかかり、経過がよくなく、大学病院に入れたが、6月12日、病気が悪化し、脳膜炎になって死んだ。
藤村は「破戒」の執筆出版のためにあまり生活を無理したので、妻は鳥目になり、3人の子供は栄養失調で死んだ、という伝説が文壇にひろがった。

「破戒」はこの年のうちに、更に3版、4版、5版と版を重ねた。

■「破戒」の反響
「文章世界」4月号(第2号)で田山花袋が匿名による「時評」でこの作品を論じた。
「読売新聞」では、中島孤島が「閑是非録」なる欄で論じた。
正宗白鳥は「読売新聞」に「「破戒」を読む」を載せ、徳田秋江も「日日新聞」に同じ題の批評を書いた。
「早稲田文学」5月号は、大塚楠緒子、柳田国男、正宗白鳥、中島孤島、小川未明、徳田秋江、島
村抱月の7人がこの作品の批評を書いた。

「早稲田文学」の島村抱月の批評
「『破戒』はたしかに我が文壇に於げろ近来の新発現である。予は此の作に対して、小説壇が始めて更に新しい廻転期に達したことを感ずるの情に堪へぬ。欧羅巴に於ける近世自然派の問題的作品に伝はつた生命は、此の作に依て始めて我が創作界に対等の発現を得たといつてよい。我が小説壇に一期を劃するもの、若しくは劃せんとしつゝあつた幾多の前駆者を総括して、最も鮮やかに新機運の旆旗(はいき)を掲げたものとしては、予は比の作に満腔の敬意を捧ぐるに躊躇しない。(略)」

「文章世界」の田山花袋の批評
「(略)兎に角此作が、わが文壇に始めて自然主義の描法を完全に行はうとしたのは、確かなる事実であらうと思ふ。今迄にも随分自然派のカラーのあった作も作家もあつたが、それは唯ある動機に由つて其一局部が其思潮に触れたばかり、根本から其方針を以て筆を著け、徹頭徹尾、其思ふ所に進んだのは此篇を以て最初としなければならぬ。此点だけでも大に紹介する価値がある。」

正宗白鳥の批評
「(略)外部からの直接の迫害よりも、主人公が心中の苦しみ、疑心暗鬼を生じての不安の情を写し、又主人公を初めから潔白神の如き人とせず、新平民を恥とせずと理の上から信じながら、矢張これを恥として公明正大でない態度に出づる所の有るのか面白い。」

夏目漱石の4月1日付け森田草平(英文科3年)宛の手紙
「破戒は二三前買ひました。先日紅緑(*佐藤紅緑)が来て破戒の著者は此著述をやる為めに裏店へ邁入つて二年とか三年とか苦心したと聞いて急に島崎先生に対し(て)も是非一部買はねばならぬ気になりすぐ買つて来ました。(略)夫から半分程よみました。第一に気に入つたのは文章であります。普通の小説家の様に人工的な余計な細工がない。そして真面目にすらすら、すたすた書いてある所が頗るよろしい。(略)単に通人や遊蕩児や所謂文士がかき下すものと大に趣を異にして居るからです。まだ後半はよまないから批評は出来ないが恐らく傑作でせう。今迄の日本の小説界にこんな種類のものはなからうと思ふのです。(略)」
同じく4月3日付け葉書
「破戒読了。明治の小説として後世に伝ふべき名篇也。金色夜叉の如きは二三十年の後は忘れられて然るべきものなり。破戒は然らず。僕多く小説を読まず。然し明治の代に小説らしき小説が出たとすれば破戒ならんと思ふ。(略)」
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3月25日
・ハンガリー、アーヒム・アンドラーシュ、独立社会主義農民党結成。土地改革・普通選挙など要求。11月5日殺害。党分裂。
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3月26日
・駐日米大使、西園寺外相に満州における日本官憲の通商妨害に抗議。門戸開放、機会均等など申し入れ。
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3月26日
・大日本麦酒株式会社創立。日本麦酒・大阪麦酒・札幌麦酒の3社が合同。
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3月27日
・八幡製鉄所第1期拡張計画案、議会通過。鋼材18万キログラム目標。
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3月27日
・議会。
三井財閥をバックにした竹越与三郎が「国有鉄道は富豪退治であると云ふかも知らぬが、決してさうではない、富豪保護である」と国有化賛成演説。
対象となる17社の買収額は、実際の建設費3億3889万円の約1.4倍、4億7054万円。それに加え、各社の貯蔵物品や事業分の費用を足し、借入金を差し引きした額に5分利付きの公債を発行した。あまりの巨額なため、10年かけて買収を完了することになった。
ここに眼をつけ、私鉄各社は法案成立後も工事を申請。100円で工事を行うと、単純計算で国は290円で買い取らねばならない。
法案公布後の1ヶ月間に、申請された工事費は1200円にのぼり買収額はその倍の2350万円となった。
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3月28日
・第22帝国議会閉会。
鉄道国有法案に関する修正箇条を朗読し、採決しようとすると)
「進歩党より無用々々の声盛んに起り、政大両派は之に反抗し・・・大騒擾を惹き起せり」(東京朝日新聞)
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3月28日
・第7回日比谷焼き打ち事件公判
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3月28日
・長崎県高島炭坑貝瀬坑でガス爆発。坑夫332人死亡。
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3月31日
・京釜鉄道買収法公布(法)。京釜鉄道を韓国統監府所轄とする。
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3月31日
・駐日英大使、南満州において日本軍がロシアの満州占領当時よりも欧米人に対し閉鎖的行動をとっていると、伊藤博文韓国統監に対して善処を求める。
清国側も日本の軍政が続いていることに強い不満を持つ。
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3月31日
・鉄道国有法公布。一地方の交通を目的とする鉄道を除き、すべて国有化。10年以内に日本鉄道など17の私鉄を買収。10月1日施行。1907年10月1日買収完了。 
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3月31日
・朝永振一郎、誕生。
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