2016年12月6日火曜日

「ありのままこそ 応挙の極意」(日曜美術館2016/11/20メモ) 「ありのままこそ我人共よろし」

「ありのままこそ 応挙の極意」(日曜美術館2016/11/20メモ)


《木賊兎図》
ふわふわした繊細な兎の毛
極細の墨線で筋目と節を表わした木賊
前向き、横向き、後ろ向きの兎
応挙の写生の力がよく表れている

《龍門図》
勢いよく滝を登る鯉の姿
鯉にかかる水流は白い紙の地肌
応挙がいかに知恵と工夫を凝らしていたのかがわかる

【応挙の極意】
実際のものを写生して自分で新たに形をとらえなければ絵画とはいえない




応挙は写生をさらに清書までするほど徹底的に突き詰めた
《写生図巻》
スケッチ
何段階にも分けて写生を積み重ねた
写生した絵に着色をほどこし作品に近いまでものの姿の模写につとめた

《写生雑録帖》のページの隅は黒く汚れている
おそらく何度もページをめくって写生画を見返したのだろう

【応挙の極意】
鏡に映して描くがよい
鏡に映すと三次元のものが二次元になる
平面にして、客観的に見て写す
ものを見る時、人間の目は動く
そうした動きをある程度抑制するため鏡に映してフラットなものにして写生の精度を高める

応挙は1733年、いまの京都府亀岡市に、農家の次男として生まれた
家は貧しく着るものにも困る暮らしで、幼くして寺の小僧として働く

 《四条橋芝居図》

《三十三間堂通し矢図》

10代で京に出て、高級玩具を扱う店に奉公
その店は、当時海外から入ってきたレンズを使ってものを見る「眼鏡絵」なども扱っていた
眼鏡絵の人気が高まるにつれ、応挙はその制作を任されるようになる
遠近感や立体感
人々の注文に応えながら新しい視覚を体感する日々が、応挙の見る力を磨き上げていった

《七難七福図巻》
(詳細は別記事にて)
円山応挙《七難七福図巻》重文(全3巻) 応挙36歳 出世作といえる絵巻
30代、写生の腕を磨いた応挙がさらに飛躍するきっかけとなる
応挙はこの作品で応挙になったと言われる出世作

仏典にも記されている七つの災難、七つの幸福を描く
天災人災幸福・・・
真に迫る光景の全長15メートル全3巻の大作

依頼主は応挙と交流のあった滋賀県大津市の円満寺の住職
人々の信仰心を高めたい
誰もが納得できる七難七福という難しい注文に、応挙は3年がかりで答えた
古い絵画を参考にしたり、時には処刑などを実際に目の前で見たといわれる

当時、「相学」というものが、学問として日本に入ってきた時代
悪人の人相をこの中の登場人物に描いていると言われる

【応挙の極意】
現実の世界に意識を向け、物事の道理を把握していれば、万物を描くことができる

【応挙の極意】
石に三面を見ること
上の一面、左右の二面、合わせて三面

国宝《雪松図屏風》
豪商・三井家のために描いたとされる
降り積もる雪は地の紙の色をそのまま生かして表現している
立体感(3D);
最新の3D機器で模写すると…
応挙の松は見事に立体的であることがわかる

【応挙の極意】
対象を観察し形を写すことを極めれば
自然とその生き生きとした生命感を表現できる

《鵜飼図》
漂う空気感
暗がりの中で漁をする鵜匠
闇の中で燃える松明の明かりが顔を照らす
その顔にうっすらと影が表現されている

《秋野暁望図》
朝靄の中に秋の草木が描かれ、画面下方には薄く藍が塗られている
この朦朧体という手法は明治頃に流行したもの
応挙は精密な写生をしながらも、このように輪郭をぼかした表現にも挑んでいる

《雨竹風竹図屏風》
雨に打たれる竹林
竹の節をずらして描き、くたびれた感じを表現している

【応挙の極意】
誠意はその時その場の状況に応じて自分なりに尽くせばよいのである
いつの時もいい加減にならないことが大事である


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