2017年1月7日土曜日

堀田善衛『ゴヤ』(112)「アトリエにて」(5終) ; 「年老いて孤独な、しかも聾者のゴヤが、いまは妻も失って、幻滅通り第一番地、に住んでいる。」 「一八一二年六月二〇日現在、デセンガーニォ(幻滅通り)一番地に住む六六歳のゴヤの財産調べ・・・」

北の丸公園 2016-12-08
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 ・・・妻のホセーファを失った孤独の老ゴヤの住んでいる家・・・。
 この家は、デセシガーニォ通り一番地であった。・・・
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 この Desengano という名、これを英語になおせば Disillusion  -すなわち、幻滅、ということになる。
 年老いて孤独な、しかも聾者のゴヤが、いまは妻も失って、幻滅通り第一番地、に住んでいる。
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 さて、ゴヤと息子のハピエールは、一八一二年一〇月二八日以前のある日に、この幻滅通り第一番地の家に公証人を呼び入れて財産目録の作成にとりかからせている。
 それはハピエールにとっての母の、ホセーファの死によって、ハピエールに母の遺産への請求権が生じたことによるものと思われる。カスティーリアの法律によると、息子は母の死に際して、父母が結婚生活中に得た財産の半分を請求する権利が生じる。・・・
・・・
 この不肖の息子は、これまでのところで父ゴヤからもらった家と現金一万三〇〇〇レアール(約三二五〇ドル)、それに王室からの年金一万二〇〇〇レアール(約三〇〇〇ドル)と故アルバ公爵夫人遺贈の年金三六〇〇レアール(約九〇〇ドル)をすでに持っている。ハピエールは一生定職につかず、ズル休みで生涯を送った。

 財産目録の作成が着々と進んで行く。
 その内容はゴヤの家庭生活をうかがわせるに足る貴重なものである。

衣類、家具、書籍・・・一万一二六四レアール(約二八一六ドル)。

 ・・・ゴヤは、聾者であるということもあって、相当な読書家であった筈である。われわれの知っているだけでも、ドン・キホーテ、ボッカチオ、ジル・プラス、ラサリーリョ・デ・トルメス、ガリプアー旅行記などを愛読していたことがわかっている。それにフランス語も読めた。

 ところで家具のリストを見ると、彼の家の内の様子が見えて来る。客間の四隅には四卓の隅机、大きな姿見鏡、黄色い絹張りの、多くのモデルが坐ったソファ、それに黄色どんすの八脚の丸椅子、食堂には丸テーブル、その他には上質の木や胡桃の板のテーブル、椅子はビトーリア製のもの、一八脚、青色に塗られたもの、二八脚。安楽椅子、二。
 椅子が合計で五六脚もあるということは、主人が聾者であるにもかかわらずこの家で夜会(テルトゥリア)が催されていたということを物語っていよう。聾者なればこそ世間の情報が必要である。
鉄製の寝台式ソファ、青色の洋服だんす二、金色に塗られた洋服だんす一、ブリキの風呂桶一、ストーブ一・・・。

 以上の道具立ては、ゴヤが充分に裕福なブルジョアの生活を送っていたことを物語る。しっかり金と物をもつ天才である!
 さて次に、

 金、銀、ダイヤモンド・・・五万二〇六〇レアール(約一万三〇一五ドル)。

 アルバ公爵夫人には及びもつかないことは言うまでもないが、ゴヤは貴金属、とりわけてダイヤモンドが大好きである。またそれは当時もいまも変らぬ財産保全の方策でもある。うちわけのなかに、四つのダイヤをちりばめたブローチが四〇〇〇レアール(約一〇〇〇ドル)、金の大盃、一万三三三二レアール(約三三三三ドル)。銀器は、皿一ダース半、配食皿三枚、盆、酢入れ、洗面器(!)、蝋燭の芯切り鋏、枝つき燭台二、食器一四組、コオフィ・セット六組、ナイフ一一本、肉切り大ナイフ一、容器一等々。
 これはもう堂々たるものである。
 ゴヤはブリキの風呂に入って銀の洗面器で顔を洗っている。
 次に、

現金(債権をも含むであろう)・・・一五万六四六五レアール(約三万九一一六ドル)。

 大ブルジョアのゴヤ氏は、サン・カルロス銀行の株主の一人でもある。現在の国立スペイン銀行となっているこの銀行には、ゴヤの署名入りの株券が飾ってある。
次、

 マドリードの持家一つ(パルベルデ通りの家)・・・一二万レアール(約三万ドル)。

 ハピエールに買い与えたラス・トレス・クルーセス通り五番地の家を加えると、ゴヤは三軒の家持ちであった。
 まことにかつてゴヤ自身が言ったように、「羨むべき」生活である。
 それから、

絵画・版画・・・一五万六四六五レアール(約三万九一一六ドル)。

 絵画と版画の明細は後に譲るが、絵の評価がわりに低いのは、当時として実はこれくらいの値段だったことを挙げておかなければならない。それにゴヤが自分自身のたしなみと修練のために描いた絵などは、当時おそらく買う人もなく値段も安いものであったろう。
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 所蔵絵画のうち、父が自分のものとして留保をしたものが二枚あった。
うち、一枚は、あの、黒衣のアルパ公爵夫人像であり、もう一枚は天才的闘牛士で、この公爵夫人もゴヤもが大ファンであった、ペドロ・ロメーロの肖像である。ロメーロもまた、公爵夫人よりも早く、闘牛場裡に仆れていた。
 この二人が、結局はゴヤの心に永遠の愛と憧憬の刻印を押した人であったのであろう。しかも二人ともすでに故人である。私も彼の心事を祭して多くを言うことをすまい。・・・
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 ところで絵画作品は、ゴヤが留保した二枚も含めて、ハピエールが打ったナンバーで三〇番まであり、なかには複数の作品に同じ通しナンバーを打ったものもあった。・・・
 先の二枚を除いて主なものは次のような次第である。

 ゴヤ以外の画家の手になるもの。
一、ティエポロ二枚 X10番 二〇〇レアール(約五〇ドル)
一、ベラスケスの肖像 X17番 四〇〇レアール(約一〇〇ドル)
一、ウォウヴェルマンの版画四枚(版画のための別ナンバーで) X1番 四〇レアール(約一〇ドル)
一、レンブラントの版画一〇枚 X3番 五〇レアール(約一三ドル)
一、作者不明のウィリアム・ピット像 X6番 二レアール(約五〇セント)
一、ビラネージ一束 X8番 八〇レアール(約二〇ドル)
一、コレージオの頭 X10番 一五〇〇レアール(約三七五ドル)

 詳しく見て行くと、この評価額はどうにも納得の行かないものである。いかに当時戦乱のさなかにあって美術品など売れる筈がなかったとはいえ、ティエポロ(おそらくは下絵であろう)の二枚が二〇〇レアールとは、どうかと思われる。それにX17番の、ベラスケスの、おそらくこれは自画像(現在は行衛不明)と思われるものが四〇〇レアールというのもおかしいし、レンブラントやビラネージも安すぎる。というより滅茶苦茶である。彼自身、肖像の注文仕事では何千レアールも受けとっているのである。
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 少しどうかしているのではないかと思われるほどに、要するに出鱈目であると言ってもそう言い過ぎではないであろう。
 先に私は評価は公証人ではなく、画家自身がやったものであろうと書いたが、ひょっとしてこれは絵の値段などには盲同然の公証人に勝手にやらせておいて、聾のゴヤはニヤニヤ笑いながら傍観をしていたのかもしれない、息子のハピエール一人がやきもきして・・・。
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 要するにこの評価額なるものは、彼と息子との間の問題であるにすぎず、世間での絵の値段とは関係がないのである。さらにもう一歩を踏み込めば、彼自身とも実は関係がないのだ。値踏みが問題なのは、もっぱらハピエールの方なのである。

 あるいはまた、この謎解きの一つの鍵は、近作の連作画「戦争の恐怖についての一二枚」が二〇〇〇レアールと評価されているところにあるものかもしれない。彼自身がいまもっとも強い関心をもっているものに、もっとも高い評価が与えられたもの、という推定が成立するかもしれない。
 一二枚もあったにしても、いずれも19×29cmとか21×35cmの非常に小さなものである。他の作品との対比においては評価が高すぎるし、それに当時の絵画の方式を完全に逸脱、あるいは越えて出てしまっていることもあって、到底商品価値をもちえないものばかりである。
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 値段のこととは別に、ゴヤが英国の青年宰相ウィリアム・ピットの肖像版画をもっていたことは興味深い。この頃になって英国に関する情報がかなりスペインへ入っていたことをそれは意味する。・・・

 ところでいま言及した「戦争の恐怖」一二枚について、であるが、丁度半分の六枚が、写真による複製もあるのに、現在ではどこへ行ったか、行衛がわからない。・・・表題別にあげて行けば次のようなことになる。
一、馬と将校。
一、兵隊に不意に襲われた女たち。
女たち ー なかには左手に赤ん坊を小脇に抱え、右手に棒か槍かをもった女がゲリラとともにフランス正規軍に襲いかかっている。
これは後に版画集『戦争の惨禍』五番「彼女らも猛獣のようだ」に刻まれる。
一、戦い。
一、死体の山。
一、負傷者の運搬。
一、死体を探す。
一、死体の衣類を剥ぐ。
一、行列。
一、囚人たち。
一、吊られた修道士。
一、山賊暴行図。
一、掠奪図。

 この一二点の小油絵は、もしまとめて見ることが出来るならば、これだけで充分に「戦争の惨禍」の全体を ー すなわちその経緯、戦いそのものの変遷と成り行きを表現してあまりあるであろう。総体として、たとえば、修道士マラガトが山賊と戦って捕えた、という主題の六枚一組と比べてみても、物語的というよりは、むしろ演繹的に戦争の恐怖・惨禍を速い筆致で描き出している。
手法的にはすでに印象主義を突き刺している。

 このほかにも目録でX28となっている「四枚の様々な主題」の小さな板絵がある。これらも全部プエノス・アイレスにあって見ることが出来ない。なかには火事で滅びてしまったものさえある。

一、山賊掠奪図。
先の一二枚とこの一枚は、ゲリラと山賊がほとんどイクオールなものであったことを物語っていよう。山賊どもは女子供をさえ襲う。
この板絵の特色は、葦の茎の先を細く裂いたものや、同じく葦をヘラに使って描いた、と後年孫のマリアーノが証言をしているが、現物が見られなければ如何ともし難い。
一、村の踊り。
白黒の複製で見る限りでは、大きな城門の廃墟のようなところで一群の男女が踊ってい、明暗対比の素晴しい出来の作品のようである。あるいはサラゴーサでの景であったかもしれない。
一、暴風雨。
面白いものを描いたものである。
戸外でのドシャ降りの雨を浴びて、人々はお祈りをでもしているかのように跪いている。もう一枚、
一、大火事。
ゴヤはどうやら火事を描くことが好きだ。サラゴーサの劇場大火図、同じく戦争中の病院火事、この三枚目の火事はどこのそれであるかわからない。しかしおそらく聾者のゴヤには、火事は悲劇的な一事件であると同時に、色彩上の大ハプニングとして見えたものであったろう。

 以上で一八一二年六月二〇日現在、デセンガーニォ(幻滅通り)一番地に住む六六歳のゴヤの財産調べを終ろう。なおこの幻滅通り一番地の家の権利者は王室である。
 絵画・版画類も入れて、全財産合計して四九万六二五四レアール(約一二万ドル強)である。
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