2015年5月7日木曜日

沖縄問題の淵源には「廃藩置県の失敗」がある (対談 白井聡×佐藤優 『世界』2015.4臨時増刊) (その2終) : 沖縄は、「近代国家とは何か」を日本人全体に突きつけている / いまの日本の絶望的な政治状況下で、ある意味沖縄が唯一の希望にも見えます

沖縄問題の淵源には「廃藩置県の失敗」がある
対談 白井聡×佐藤優 (『世界』2015.4臨時増刊 - 沖縄 何が起きているのか)

日本の無関心

 白井 私は、学生に沖縄問題について話す時には、最初に関心の低さについて言及します。そして、それはまずいことであるとも伝えます。

 ものすごく大ざっぱに言うと、日本人の五〇%は沖縄の問題に関して無関心である。残りの五〇%は関心があるとして、全体から見て二五%は気の毒だという同情的感情を持っている。最後の二五%というのは、沖縄にはろくな産業もないから基地でも押しつけておけばいいという差別的な感情を持っている。このなかでは同情が一番ましだということになりますが、それでもすべて、他人事としてしか捉えていないことには変わりがない。私も、『永続敗戦論』を書く過程で、自分にとって沖縄問題が、自分が当事者である問題として捉えられるように頭の中がようやく整理されたわけですから偉そうなことは言えませんが、「関心をもっと持たなければならないんだ」ということを道徳的なお説教として言っていてもダメで、やはり当事者の自覚を訴えかけなければならないと思います。

 それからもう一つ、沖縄は、「近代国家とは何か」を日本人全体に突きつけていると感じます。近代国家は社会契約的な擬制に基づいています。だから、対等な人権や人格を持った人間同士であるということでお互いを認めてこの社会は成り立っているはずなのに、ある地域があからさまに差別的な状態に置かれているとしたら、この国の社会契約は偽であるといってそこから離脱する人たちが出てさても仕方がない。

 つまり、社会契約的な公正性を担保する努力をしなければ、近代の国家共同体は壊れるのです。結局、日本は社会契約的な観念が脆弱だから、本当の意味で近代国家ではないとの指摘を裏打ちしてしまっています。だから、沖縄の問題は、家族国家論的な国家観が日本でいまだに根強く残っていることへの非常に鋭い重要な問題提起になっているのだと考えます。

 沖縄県出身の学生に接触することもありますが、かれらの反応も、また複雑です。たとえば、普天間基地のそばで育った学生のなかには、危険性を承知しているからこそ、辺野古への移設でも仕方ないと本音をいう子もいます。そこで、わたしは、「普天間基地閉鎖を日本政府は正式には一度も言ったことがない」と教えます。そもそも普天間基地が危険だと最初に指摘したのはラムズフェルドで、東京の権力者の誰も、「畏れ多くて」言い出せなかったわけですよね。沖縄のメディア関係者から聞いた話ですが、だから厳密には、辺野古に二〇〇年もの耐用年数を持つ新基地をつくろうとしていることだけが確かな現実であって、それができたからと言って普天間が必ずなくなるかといえば、そうではないのだ、と。

 佐藤 「宜野湾は人口密集地だから基地があったら危険だけれども、辺野古ならば過疎地であるから危険でない」という発想は間違っています。辺野古に住んでいる人たちの人命(権利)と、宜野湾に住んでいる人々のそれについて、擬似対立をつくり出していることこそ問題です。

 白井 同感ですね。そのような地域間での擬似対立のほかに、世代間での断絶のようなものもあるという話を聞きました。沖縄県出身のある教え子が言うには、沖縄は悪い意味でヤマトナイズされつつあって、伝統的な年長者に対する敬いの自然な感情が薄れてきているのを感じているそうです。たとえば米軍基地がなくなったあとの跡地利用として、それこそ「ジャンク風土」的なショッピングモールができている現状もあります。一方では政治的な結束がだんだん高まってきている側面があり、他方で生活基盤、慣習、伝統の部分において、沖縄県民ですら不安に思うような分解の状況があるのかもしれない。その二面的な進行を感じました。

 佐藤 どの時代においても、伝統がなくなっているという批判はあります。たとえば三〇年前、誰もかりゆしを着ていませんでした。あれは比較的新しい民族衣装であり、服を通じたアイデンティティの変化を示しています。

 逆に沖縄の伝統であっても、トートーメーのように変わるべきものもあります。これは、沖縄の伝統からすると長男しか相続できません。そのまま家督権という形で財産分与とも絡むので、ジェンダーの観点から問題があります。

強いのではなく乱暴な政権

 - 沖縄戦では多くの日本兵が命を落としましたが、「日本人が戦った戦争」の記憶がなぜ消えていくのでしょうか。

 白井 日本人は、ある意味都合のいい歴史を作ってきました。TVドラマなどで戦争を描くときは、相変わらず空襲で焼夷弾が降ってきて大変だった話ばかりです。以前は、戦争加害者の側面を描くものもありましたが、近年はとくに、被害者性の表現ばかりになっている。時間とともにどうしても記憶の生々しさは風化するので、大変だったんだというわかりやすい被害者性を強調するしかなくなっているのでしょう。

 佐藤 近年、「反戦的」といわれている作品の中にも、実は美学に吸収してしまっているものもあります。それは、加害性と向き合うこととは違います。

 沖縄については無関心が基本で、都合が悪い部分について日本人は沈黙します。そして消費できるものは消費していく。

 安倍政権は、強いのではなくて乱暴なのです。強い軍隊と乱暴な軍隊は違います。実はあの人たちはあの人たちなりに沖縄のことを本当に一生懸命理解しようとしているんですよ。しかしあの人たちの理解では今やっていることが限界なんですね。沖縄の側も気づいていて、率直に言って、政権が代わるのを待っていると思います。

 白井 安倍政権は、しめ上げれば沖縄は結局言うことを聞くだろうと本気で思っているのでしょうか。

 佐藤 考えていないと思います。安倍さんが沖縄について言っていることはほとんどありません。すべて他の人に任せきりです。そして、任された人も、基本的には強硬論で押し通すだけです。

 今後、現場で、沖縄出身のガードマンや沖縄県警の警察官がどれだけサボタージュできるかが重要になってきます。あの若者たちを敵に回す言説は受け入れられない。やらないでいい対立が沖縄の中に持ち込まれていることに、ガードマンや警察官も憤っています。

 白井 佐藤さんは「辺野古移設はもう根本的に無理で、一種の政治ショーでしかない。流血の惨事になればアメリカに対して断るアリバイができる」と予測されていましたね。

 佐藤 流血は何としても避けなくてはなりません。日本の中央政府や米国の都合で、沖縄人の血が流されるようなことはあってはならない。米国は合理的で、本当に必要だと思っているのは嘉手納基地です。もちろんお金を出してくれて辺野古に巨大基地をつくってくれることは歓迎するけれど、そのために敵意に囲まれた基地になるというのは勘弁してくれということです。いま、見極めをしている最中だと思います。

 それから、ややもすると東京の政治エリートは、沖縄が本気で抵抗していないと勘違いしていますが、同じ県民同士で流血を起こす行為は最低であると自制が働いているのです。

 白井 結局、辺野古に基地をつくることは、もはやアメリカの望みではなく、永田町と霞ヶ関の望みに過ぎないという話は、かなり広まりつつあると思います

 佐藤 端的にいえば惰性でしょうね。意思決定は、やめることを決断するよりも、とりあえず進む方が楽ですから。

 白井 ここにも日米同盟の本質が表れていると思うのです。駐留米軍とは、結局のところ何のために居るかといえば、永続敗戦レジーム支配層の用心棒として居る、というのが最も正確な理解なのではないでしょうか。ただし、用心棒のほうが雇い主よりも強いというおかしな関係にあるのですが。

 野中広務さんなどが現政権のやり方について相当厳しい批判を加えています。東京の政治家、特に自民党系政治家の沖縄に対する態度は以前と比べて根本的に変質してしまったのでしょうか。

 佐藤 本質は昔も今も同じだと思いますよ。沖縄もそれがわかった上で、「昔と違う」と言っているのです。野中さんをはじめ「沖縄のために尽くしてくれた日本人」はいろいろいますが、その類の神話には、沖縄は飽き飽きしています。

 いま沖縄系の論壇人が一種の自己規制を働かせて、不必要な敵をつくるような運動論を極力抑えています。それを一部のリベラルの人から、「沖縄は言うべきことを十分言っていない」「沖縄内部の腐敗に対して目をつぶっている」「全体主義的である」と批判されますが、これは「政治」なので、敵の前では汚れた下着を洗ってはいけないわけです。

 - 米軍の射撃訓練などを沖縄から引きはがして地元に持って行ったのは、鈴木宗男さんだけですね。

 佐藤 当時、共産党は「北海道を沖縄化するな」という内容の抗議をしました。しかし、どこかが受けなければならないし、黙っている誠意もあるのではないかと思います。

 白井 共産党は安保体制そのものを否定しているので、そうした原則論からの批判で十分だという立場なのでしょう。しかしそれでは現状は動かせない。その点からいうと、今回、選挙でオール沖縄体制ができて、そこに共産党も入ったことは、本土では考えられないことであり、快挙だと思います。

 佐藤 本土とは性質を異にした「沖繰共産党」が成り立ち得るかどうか、注目すべき問題です。かつての人民党の形に戻るのなら、事実上は別の党になります。

 白井 オール沖縄は、ある種の人民戦線と言ってもいいと思います。「辺野古に基地をつくらせるな」という一点 - そして、翁長さんという一点での連帯です。本土の共産党は何かの一点で他党と連帯することがないのに、沖縄の共産党がそれができるのは、おそらくは社会構造の差でしょう。沖縄アイデンティティという確固たる社会的基礎がある。

 佐藤 重要なのは、沖縄のメディアで伝えられていることを東京でどう伝えて乱反射させるか、そしてその逆も必要です。東京でやるべき仕事は、沖縄との回路を持つことです。沖縄の二紙を媒介にしないと沖縄では世論にはならない。

 私が沖縄知識人の課題だと思うのは、言語の問題です。いま、琉球語が復活できる基盤をつくっておかないと、次の世代で琉球語を公用語として実務で使えるようになりません。正書法の規則もできていないし、標準語辞典もつくらないといけない。これは五〇年かかる仕事です。

 翁長県政に期待することの一つは、琉球標準語の形成に分けて一歩踏み出してほしい。最終的には、合意の文書をつくるときも琉球語/日本語を等しく正文とするなど、日本と対等の立場を維持していくのに必要になってきます。

 日本も沖縄も双方が認識しなければならないのは、先ほども言った廃藩置県の失敗という事実です。その現実から考えると、外交権の一部の回復がない限り修復できないのです。その意味においては、東部ウクライナで起きていることと相通じるものがあります。すると、結局は連邦条約みたいなものをつくっていかざるを得なくなる。その時の条約は、日本語だけでなく、日本語と琉球語でつくらないといけない。言語の回復は極めて重要な問題です。

 白井 いまの日本の絶望的な政治状況下で、ある意味沖縄が唯一の希望にも見えます。「自己決定権を獲得する」「独立する」という高揚感が伝わります。そうした動きが日本の一部分で大きくなることは、国民全体にいい意味で衝撃を与えることになるだろうと思います。しかし一方で、本土の人間がこうした形で沖縄に期待するのは、我ながら自分勝手な話だとも思うのですが。

 佐藤 自分勝手と意識している限りにおいて、それでも構わないのです。自決権とは、沖縄は沖縄でやらせてもらう、ということですから。

 問題は、いまの日本の辺野古での基地建設強行は、明らかに沖縄に危害を加えているという現実であり、近代的な自由権原則に完全に違反しています。日本の一員であるということで基地が強要されるなら、外に出るしかないという結論はありえます。ただその過程で、「我々はどうして日本の一員になったのか」を、いま再検証しようとしているわけです。それが集合的意識か集合的無意識か、その両方が結びついて琉球三条約の展示といった形で出てきている。

沖縄県知事選と今後の県政

 白井 翁長さん自身の当選後の言葉で、「従来の保革の対立を越えた今回の陣営は、沖縄の民意が先にあって、ようやく政治家が追いついた」という趣旨のものが印象的でした。結局のところ、本土の政治がどうしようもない状況にあるのも、「民意」による突き上げがなく、政治家がだらしないままでも許されているからです。

 佐藤 ただ、正しい代表制でも、民主主義が最終的に数で決まるならば日本全体の人口の一%強しかいないので沖縄は勝てません。現実政治の観点から鍵を握っているのは公明党・創価学会でしょう。与党の陣営にいながら今回の選挙でも仲井眞支持に行かない。総選挙における自民党の惨敗は沖縄創価学会・沖縄公明党が沖縄の地に根付いて動いていることを意味します。そして中央の創価学会も公明党もその動きを尊重せざるを得ない。おそらく中央の政党と沖縄支部の考え方が違う場合に、押し切らなかった初めての事例でしょう。

 そもそも、自公協力も翁長さんから始まったのです。そしてそれは、沖縄で始まり、沖縄で崩れた。だからこの選挙だけでなく、集団的自衛権の問題なども、鍵を握るのは公明党になると考えています。

- ありがとうございました。(司会=編集部・中本直子)


沖縄問題の淵源には「廃藩置県の失敗」がある (対談 白井聡×佐藤優 『世界』2015.4臨時増刊) (その1)


「沖縄近現代史の中の現在」 (その1) (比屋根照夫 『世界』2015.4臨時増刊) : 「他愛心は人間の情の中でも最も高尚なるもので、劣等民族は他愛心が薄い。自己以外の民族を愛すると愛せざるとは直ちにその国民的品性の高低を測定する尺度になる。この点から見ると日本人はたしかに一等国民ではない」(伊波月城) 

「甘えているのは本土」 - 「沖縄は基地依存」への反論 (「脱基地経済の可能性」前泊博盛(『世界』2015.4臨時増刊所収)) : 「国土の面積の〇・六%の沖縄で、在日米軍基地の七四%を引き受ける必要は、さらさらない。いったい沖縄が日本に甘えているんですか。それとも日本が沖縄に甘えているんですか」













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