2016年2月29日月曜日

(YouTube) Mr.Children「進化論」from Stadium Tour 2015 未完


Mr.Children「進化論」from Stadium Tour 2015 未完


山尾志桜里議員「保育士の給与を上げましょうよ」…首相は長広舌ながら正面から答えず。山尾議員「気分ではママたち騙されませんよ」 ← (写真) 女だと舐めてかかる小者アベ。共産党志位議員の前で一度でもそんな顔してみろ! / 「安倍総理、どこを向いて仕事をしているのか。選挙のためか、国民のためか…消費税増税の時に約束した子育て支援の3千億の財源を絶対に見つけて実行すると言うべきだ」 / 山尾氏「〈保育園落ちた 日本死ね〉確かに言葉はあらっぽいです。でも本音なんですよ、本質なんですよ。」 安倍総理「これが実際に事実かどうか、どういう人物かは、私は…」 真の声を冷たく突っぱねる無責任総理。 / 「保育園落ちた日本死ね 」ブログに安倍首相「本当か確認しようがない」、国会では「誰が書いたんだよ」などのヤジ















【質問3回すべてタジタジ】安倍首相が一番嫌いな女性議員 山尾志桜里の質問力 予算案は可決したが、今度は舞台が山尾議員の〝主戦場〟厚労委に移り、安倍VS.山尾の第2ラウンドが始まる。首相のトイレ休憩の回数が増えそうだ(日刊ゲンダイ)

「一体誰が書いたんだよそれ」ってヤジったのは平沢勝栄議員(これでも安倍シンゾーの元家庭教師、その割には論功行賞ないけど。元警察関係者なんで自分で名乗ると思うけど・・・?) 「出展は?」とヤジったのは某ヤジ名人じゃないかと・・・?





しゃれにならない深刻さ、日本の消費が危ない 日本の家計はすでにギリギリの状況 (加谷珪一 JBpress)

「マネー・ショート」監督、オスカー授賞式で銀行を批判 ; 「大企業に政府を支配してほしくなければ、大銀行や石油、変人の億万長者からカネをもらっているような候補者には投票するな」 — ウォール・ストリート・ジャーナル日本版

安倍首相の国会答弁「~ですよ」多用の上から目線度 (毎日新聞) ;  安倍首相の答弁が荒れている。と言うか、子どもの口答えのようなのだ。 特に民主党が相手だと安倍首相はムキになる。 「お母さんだってやってる」と子供が言い返すパターン せきを切ったように閣僚や国会議員の失言や放言が飛び出している。安倍首相の責任は大きい



江田「委員長あっちの方、静かにして下さい。懲罰動議が出されている議員は黙ってて下さい」 / ヤジるおおばか維新の足立 ← 安倍与党のつもり / しかも、委員会中にツイッター飛ばしてる!






衆院予算委公聴会で24日、弁護士の郷原信郎氏は甘利氏問題について「ストライクゾーンが狭く設定されたあっせん利得処罰法の対象の、まさにど真ん中のストライクに近い事案」と指摘。 / おおばか維新の足立某とかいう議員が郷原氏にヒドイ対応したらしい / これはひどい……。これが国会議員?あまりに程度が低いというにとどまらず、郷原さんに対する名誉毀損でしょう。議長はなぜ、この場で問題にしないのか / 全く関係ない話 「橋下徹をブログで批判した」等と公述人の郷原氏を猛批判 / 足立康史に厳重注意、竹下委員長が有識者に謝罪、を決める (←甘い! 最低限、足立が郷原氏に謝罪じゃないのか) / おおさか維新・足立の前に、自民・山下貴司議員(元検察官)が郷原氏に対し検察の取り調べもどきの無礼な「質疑」をしていた。さすがに郷原氏、元警察官僚の自民・平沢勝栄議員の動きをよく見ている。 / 看過できない重大な”国会のコンプライアンス問題” ⇒郷原信郎が斬る / 《全文書き起こしで痛感、お維足立議員暴言の酷さ》ハーバー・ビジネス・オンライン / あ~面倒だな。勘違いした、と言ってるでしょう。— あだち康史 / 国会に公述人として呼ばれて持論を述べた人を、公然と「売名行為」などと罵倒し、間違いを指摘されると、「あ~面倒だな」と。この方、2012年総選挙に初当選。同期に武藤貴也、宮崎謙介、中川郁子、大西英男、上西小百合の各氏ら。— Shoko Egawa




再稼働の高浜原発4号機 警報出て原子炉自動停止 (NHKニュース) ; 29日午後2時すぎ、発電機の故障を示す警報が出たためタービンが自動停止し、原子炉も自動停止した / マスコミ入れて送電開始しようとした瞬間警報鳴る。で、報道陣に撤収を促す広報担当 / 高浜原発4号機「起動」当面できない見通し(日本テレビ系(NNN))


今月26日に再稼働した福井県の高浜原子力発電所4号機は、29日午後2時すぎ、発電機の故障を示す警報が出たためタービンが自動停止し、原子炉も自動停止したということです。

関西電力によりますと、このトラブルによる環境への影響はないということです。

原子力規制庁によりますと、29日に予定されていた発電と送電を開始する操作をしていたところ、トラブルが起きたということです。






英で反核デモ、核兵器システム更新にNO 数万人が参加:朝日新聞デジタル ; 昨日のロンドンは寒風が吹くあいにくの天気でしたが、デモ行進から集会終了までの約4時間を見届けました。動画も撮りましたのでご覧下さい。— 梅原季哉

困る人多いかも。。4月からガラッと変わるコト - NAVER まとめ ; 値上げとか。。4月以降、『お薬手帳を持って行くことで、負担金を値引きする』という制度に、とか。。

10兆円の円売り介入でも円高は止まらない(東洋経済オンライン) ; すでに日本は「100兆円の外国買い」をした 2012年冬から始まった「アベノミクス相場」は、終焉を迎えそうだ


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すでに日本は「100兆円の外国買い」をした

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アベノミクス相場が終焉を迎える時

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 企業が必要以上に内部留保を貯め込んだ結果、個人消費は一向に活発化せず、そうこうしているうちに進んだ円高によって、日本企業の業績そのものに黄信号が灯り始めた。中国経済のスローダウンを源流にしたリスクオフと円高が一段と進むとき、2012年冬から始まった「アベノミクス相場」は、終焉を迎えそうだ。

鈴木 雅光

2016年2月28日日曜日

アベノミクス「評価せず」50% 本社世論調査  :日本経済新聞 : 「評価しない」は50%で「評価する」の31%を上回った。昨年2月以降の同様の質問で「評価しない」が5割に届くのは初めてで「評価する」も最低だった。


 日本経済新聞社とテレビ東京による26~28日の世論調査で、安倍政権の経済政策「アベノミクス」を「評価しない」は50%で「評価する」の31%を上回った。昨年2月以降の同様の質問で「評価しない」が5割に届くのは初めてで「評価する」も最低だった。内閣支持率は47%で1月の前回調査から横ばい。不支持率は5ポイント上昇し39%だった。

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もうヒトラーの空耳集見て 一人でお腹痛くなってるwwww — shin'ya ← ボクも

鈴木ムネオと娘の裏切り ; ヒトとしても政治家としても、どこから見てもこれは絶対アカン!





播磨屋のトラックは今日も行く 「真性のバカか安倍晋三」


元亀4/天正元年(1573)7月16日~7月31日 将軍義昭追放、室町幕府(240年)滅亡 上京の再興に着手 天正に改元 「中世の秋」(大きな転換点) 「天下所司代」に村井貞勝を任命 [信長40歳]

鎌倉、長谷寺 2016-02-26
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元亀4/天正元年(1573)
7月16日
・義昭追放、室町幕府(240年)滅亡
信長7万、槙島着、五ヶ庄の柳山に布陣。
18日午前10時、宇治川を平等院・五ヶ庄方面から渡河、宇治槙嶋城包囲。攻撃、陥落。
義昭、息子義尋(2)を人質として差し出す。
同日、義昭、木下秀吉により河内若江(東大阪市)三好義継のもとへ護送(謹慎装うが諸勢力に御内書出し反撃試みる)。
このとき、義昭は「貧乏公方」と囃し立てられながら追放されたという(『信長公記』巻6)。
信長、槙島に細川昭元を置き、南方表に出勢して諸所を焼払い、21日、京都へ凱旋。
24日、義尋、佐和山へ移す。

南手(平等院北東より宇治川渡河(梶原景季と佐々木高綱が先陣争いをした古跡)、美濃衆):稲葉良通、氏家直通、安藤守就、齋藤新五郎、不破光治・息子彦三直光、丸毛長照・息子兼利、飯沼勘平、市橋伝左衛門、種田助丞。
北手(五ヶ庄から渡河、宿将):佐久間信盛、丹羽長秀、柴田勝家、羽柴秀吉、蜂屋頼隆、明智光秀、荒木村重、細川藤孝と息子忠興、蒲生賢秀と息子氏郷、永原筑前守、進藤山城守、後藤喜三郎、永田刑部少輔、山岡景隆と息子景宗、山岡景猶、多賀新左衛門、山崎源太左衛門、平野長治、小河孫一、弓徳左近兵衛、青地千代寿、京極高次、池田孫次郎ら。

義昭追放後、信長の掃討目標にされる畿内大名:
①山城淀城(石成友通)、
②河内若江城(三好義継)、
③河内高屋城(畠山秋高)、
④大和多聞山城(松永久秀)、
⑤摂津伊丹城(伊丹忠親)。

上京の再興
義昭を京都から追放した直後より、信長は上京の再興にとりかかる。

条々     上京
一、前々の如く還住せしむべきの事。
一、陣執り、免除の事。
一、非分の課役を申し懸くべからざるの事。
一、地子銭を免除の事。 但し追って申し出すべく候条、それ以前に何方へも納所に能わざるの事
一、おのおの宅造おわるの間、人足を免許の事。
右、差し定むところ相違あるべからさるものなり。よって下知、件の如し。
  元亀四年七月 日     弾正忠(朱印)

このとき信長が上京にあてて出した「条々」(『上京文書』)には「陣執免除」(信長の軍勢が陣を構えない)や「非分課役を申し懸くべからず」(不法な賦課をかけない)といった条項が記されている。先に下京が多額の礼銀を支払って獲得したものと同じ内容のことを信長は上京にも認めた。
その他、下京には認めていない「地子銭免除」(宅地税の免除)や「人足免許」(力仕事などの労働賦課の免除)といった特権を意味する条項まで、「条々」に記されている。

このように上京にあてて出された「条々」からは、焼け野原となった上京を再興するため、信長がまずは町人の「還住(げんじゆう)」(本来の居住地に帰り住むこと)を進めようとしていたことがわかる。

一方、町人の還住策以外にも、上京に新たな都市開発に取り組んだ。それは、「新在家絹屋町」と呼ばれるもので、同町にあてて信長が出した「条々」(『上下京町々古書明細記』)によれば、その範囲は、天皇の住まう内裏より「南へ二町、近衛を限る、東は高倉を限る、西は烏丸を限る、二町」、つまり正方形の碁盤の目の四つ分の広さ=四町を占めるものであった。

「条々」には「惣構は下京に准ずべし」、あるいは 「町中の儀は、おのおのとして法度を定め申しつくべき」といった条項も見える。信長は、「新在家宿屋町」に下京をと同じような惣構をつくらせるとともに、町の掟を=「法度」も定めさせようとしていた。
信長は上京焼き討ち以降も、以前と同じく惣町や町などを利用しての洛中支配というスタイルを変えていなかった。"

『信長公記』巻六に「即時に町々家屋もとのごとく出来」とあり、すぐに上京再興が進んだと伝えられている。
焼き討ちの3年後、天正4年(1576)におこなわれた洛中勧進をでは、焼き討ちの前年、元亀3年(1572)の『上下京御膳方御月賄米寄帳』に見られる上京の町々と同程度(数では町が増加)ということが確認できる。

このことは、上京焼き討ちの際に類焼した日蓮宗(法華宗)寺院の頂妙寺の再興をとおしても確認できる。
頂妙寺住持・日珖(にちこう)の日記『己行記』天正3年(1575)条によれば、この年8月末から9月初におこなわれた学問所や大坊まわりの築地塀普請の際には、「学問所東は立売衆」「西は新在家衆」「北は西陣衆、大坊東は船橋衆」というようにに、立売町(あるいは立売組)や新在家絹屋町、あるいは川ヨリ西組(西陣組)や船橋(舟橋)町という、いずれも上京に所属する町や町組に住む檀徒たちの参加が確認できる。
普請に参加できるということは、そこには町や町組がある程度、復興していたと考えられ、したがって、天正4年の洛中勧進より1年前にはかなりの数の町人たちが「還住」していたことが知られる。
上京再興が順調に進んだ理由;惣町・町組・町の結びつき
「地子銭免除」「人足免許」などの特権が、町人たちの「還住」を促した。
しかし、それ以上に重要なのは、焼き討ち以前に上京に成立していた惣町・町組・町といった社会集団、共同体の結びつきが強固であったという事だと推測される。
焼き討ちの際に激しい乱妨狼籍が繰り広げられたが、一定数の町人たちはそれらから逃れ、惣町・町組・町といった結びつきを維持しつつ各地に避難していたと考えられる。
上京宛に出された「条々」が、紙に書かれた文書として伝えられている。文書であるということは、それを受け取ることのできる集団が存在していたということである。
仮にそのような集団が存在しなかった場合は、おそらく「条々」を木札に書き、適当な場所に立てて周知させるやり方になっただろう。
従って、焼き討ち以前に上京で成立していた惣町・町組・町といった社会集団、共同体は、一旦は別の場所に避難していたとしても、再び元のところへ戻れば、それ以前と同じような機能を発揮できるほどに強い結びつきとなっていた。
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7月17日
・朝倉義景2万、敦賀着陣、安養寺に本営。
後、山本山城降伏の報で江北進出、田部山に本陣。
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7月18日
・この頃、木下藤吉郎秀吉、姓を羽柴と変える。
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7月20日
・家康、武田方となった山家三方衆菅沼正貞の長篠城攻撃。
同じく三方衆作手城の奥平貞能・信昌父子は家康に協力。
家康、城中に火を放ち、久間・中山に付城を置き酒井忠次・菅沼定ミツら配備し浜松帰還。
菅沼正貞:
元亀3年12月、東三河侵攻の信玄別働隊秋山信友に敗れ、信玄に帰服。
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7月21日
・信長、改元内奏。
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7月23日
・「公方様御同意」した土豪渡辺宮内少輔・磯貝新右衛門、稲葉一鉄の勧降により山城愛宕郡一乗寺城(京都市左京区)を退城。
一乗寺城は破却。磯貝は紀伊に蟄居させられ、後に殺害。

この日、渡辺某を一乗寺から退城させた直後、「すなわち東の郷人足を以て悉く破却し了んぬ(洛東の諸郷から人足を徴発して徹底的に破壊)」し、人夫調達は吉田郷にまで手が伸びている。
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7月24日
・この頃、明智光秀、土豪山岡(対馬守)景佐の籠もる城小倉山城(左京区岩倉小倉山)を攻撃(「兼見卿記」同日条)。
小倉山から脱出して静原城(左京区静市静原町城谷山)によるが、同年秋、光秀の調略により殺害(「信長公記」同年条)。
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7月27日
・信長、坂本から安宅船団率い高島郡の浅井拠点掃蕩。木戸・田中(安曇川町)占領、明智光秀を守備につかせる。
信長、高島郡内の浅井久政・長政父子知行所に進み、林与次左衛門方に布陣、知行所内を放火(「信長公記」では26日)。
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7月27日
・北條氏照、関宿城を攻める
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7月28日
・天正改元。
信長の奉請で年号が元亀から天正に改元。改元で旧時代からの訣別と、自分の威光を天下に示そうとした。天正の号は、信長の意向が強く働いていた。

「中世の秋」(大きな転換点)
前々年元亀2年夏、毛利元就(75)、没。
冬、北条氏康(57)、没。
この年夏、武田信玄(53)、没。
続いて、義昭追放(室町幕府終焉)。
このあと(秋)、浅井・朝倉氏滅亡。
しかし、伊勢長島の門徒衆と石山本願寺だけは燃上がる。
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7月28日
・この頃、信長、「天下所司代」に村井貞勝を任命。村井貞勝は在洛して、「天下諸色」を担当するよう命令を受ける(「信長公記」巻6)。

天正元年~4年((1576)のの京都市政に関する織田政権の発給文書をみると、殆どが明智光秀・村井貞勝が関係しており、しかも同時期の文書に「京都御代官両人」の職称が見られるなど、この段階では村井貞勝単独の所司代は成立するに至っていない。村井が所司代として市政に臨むのは、光秀が丹波方面の軍事に専念するようになる天正4年以降と考えられる。

「当代記」「甫庵信長記」には村井貞勝が、信長より条書を受け、上京の地子銭、諸役免除、鰥寡孤独(かんかこどく)の者の救済等について命じられるとある(但し、これは小瀬甫庵の創作)
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日本が通貨の懸念材料に浮上、中国ではなく-G20 (1) - Bloomberg ; 上海の20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では中国の人民元が主要議題の1つになると予想されていた。しかし、主要国の一部の当局者から懸念材料として指摘されたのは、日本の円と金融政策だった


 (ブルームバーグ):上海の20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では中国の人民元が主要議題の1つになると予想されていた。しかし、主要国の一部の当局者から懸念材料として指摘されたのは、日本の円と金融政策だった。

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「花のように あるがままに ~在日コリアン舞踊家・裵梨花~」予告編  — 映画.com

運転年数に関係なく原発再稼働期待 経団連会長(エコノミックニュース)  ; 「原則40年、条件付き20年延長」の見直しを要請 ← 際限なくタガが外される 「一度目は悲劇、二度目以降は喜劇」のその「喜劇」が始まる

【官僚天国】第二次安倍政権発足以降、天下りが加速。消えた行革断行(2016/2/23作成) - Togetterまとめ

単身女性の3人に1人が貧困(年収が112万円未満)です。/NHK・あさイチ「サイレントプア 声なき女性の貧困」(2012年11月5日に放送) - 【動画】— @動画 

世界最長記録を超えた韓国野党のフィリバスター 20人以上の議員たちが参加し7日目を迎える / 韓国での抵抗は4日目に突入。民主主義の緊急事態だとして野党3党が与党提出のテロ防止法案に反対し数十年ぶりにフィリバスター戦術を駆使して抵抗。この議員は8時間以上演説中。国家情報院に絶対的権限を付与する事の危険性について訴えています。 / 韓国のフィリバスター 、世界記録? 計38人が9日間演説続け、ついに中断へ 





2016年2月27日土曜日

芸術新潮 2016年3月号 【特集】カラヴァッジョをつかまえろ! 彼の存在なくしては、ベラスケスもレンブラントも、はたまたフェルメールも登場し得なかった……!? — 東京美術館巡り / カラヴァッジョ展、上野・国立西洋美術館で開催 - バロック美術を開花させた画家 — Fashion Press



朝ナマ。緊急事態条項。 自民柴山(埼玉8区)  「現行の法体系では国民に義務を課す事が出来ない。そのために必要だ」  (すかさず太田啓子弁護士から異議) ……何言ってるんだ、こいつ? ← ホンマ、レベル低過ぎ!

明治38年(1905)9月7日~10日 講和反対(非講和)運動は地方に波及 藩閥政府打倒決議が現れる 「外は帝国の光栄を毀損し内は憲政の精神を破壊す」と決議 週刊「直言」第32号発行。無期発行停止処分(事実上の終刊号) 警視総監・内相、引責辞任

鎌倉 長谷寺 2016-02-26
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明治38年(1905)
9月7日
・大連湾及び関東州取締規則公布。
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9月7日
・夕方、東京市内で警察官所2ヶ署焼打ち。事件は収束。

事件は東京だけで終わらず、7日夜は神戸、12日夜は横浜で交番焼き打ちが起こる。
神戸では10数名が検挙され、横浜では93名が兇徒嘨聚罪で起訴されている。
講和反対の大会、演説会は1道3府40県にわたり、決議数は230余件に達した。

負傷者:
官吏側502(警視6、警部26、巡査422、消防・軍人42)、民衆側528(うち死者17)。但し、負傷は1千~2千といわれる。検挙2千(うち1千はすぐ釈放、起訴300余)

日比谷焼き打ち事件だけでも警察に引致された者は1,700余名。うち起訴された者は308。
河野広中などの大会委員も検挙されているが、大半は職人・職工(108)、人足・車夫・馬力(55)。営業主が47名いるが、酒商、古物商、油商、魚商、絵葉書商といった零細な商人たちで、他は店員と学生。しかも、現行犯処分とされた105名のうち90名が予審免訴となっている。
公判で有罪の判決を受けたものは87名にすぎない。多くの者が負傷を根拠に検挙された。
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9月7日
・講和反対を唱える新聞の発行停止。
この日、「万朝報」「都新聞」「二六新聞」(2日間)。
8日、「日本」「人民新聞」(1日)。
9日、「東京朝日新聞」(~24日迄)。
10日、「大阪朝日新聞」(~14日、18日~10月3日、25日~11月7日、3回、35日間)など次々に発行停止。
東京で発行停止を免れたのは「国民新聞」「東京日日新聞」「中央新聞」「時事新報」「報知新聞」「毎日新聞」。
地方でも「小樽朝報」「山梨民報」「丹州時報」「京都朝報」「伊勢朝報」「大阪日報」などが発行停止。

この日付「東京朝日新聞」の「講和事件に関する投書」で、「憂国生」は、「当局者は速かに其責任を明かにし、以て罪を上下に謝せざるべからず」とし、さもなくば「市街戦の修羅場」は今後も勃発すると述べる。また、「忠霊の墳墓」は、講和条約とそれを締結する内閣への「国民の怒り」を騒擾に見出し、「国民の熱血的愛国心に富めることを感謝す」と結ぶ。
藩閥や圧政への批判は、「国民」の名の下に、膨張主義的な国権の要求を含みこみ、騒擾という形態もとりながら実践される。
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9月7日
・神戸湊川神社前公園で非講和演説会。後、神社内の伊藤博文像(1年前に建造、高さ2m)を倒し、これを引きながらデモ。福原遊郭近くの派出所前に捨てる。伊藤の対露軟弱外交のため。
講和発表~枢密院での可決迄の1ヶ月で講和反対大会は全国で230件余。

この日の講和反対大会。
東京弁護士有志会、静岡県沼津町民大会、京都府園部町民大会、和歌山県田辺有志大会、三重県浜松非講和大会、山口県下関市民大会、広島市民大会、大分県杵築町民大会など。
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9月9日
・社説(池辺三山)「説明の必要」(「東京朝日」)。桂追求の5回目。政府は当初から賠償金・領地割譲など諸条件に関して確信なく提出したのか、この質問に関して政府が国民を侮辱することを筆者は許さないと書く。末尾に「大尾」(終りの意味)と書かず、納得できる回答ない場合は以降何回でも書くという態度を示す。
この日5時、発行停止命令届く。
「一社湧くが如し、直に祝停の宴なるものを開く。来会二十余名。盛会を極む」(杉村楚人冠日記)。
焼打ち事件を詳細に報道したり、事件の死傷者弔慰や施療の社告を出して、警視庁から「暴徒に医療を施すとは暴行を扇動する恐れがある」と警告された「東京朝日」は、15日間の発行停止。
「社史」によると、桂首相がオフレコを条件に各社代表に話した講和条件の内示を、三山の指示で9日の新聞に書いたことも発停の理由だったという。
この発停を契機に、「東朝」社説は、講和条件反対・内閣糾弾のホコを収めていく。
一方、「大阪朝日」の筆鋒は緩るまず、9月9日~11月7日で3回35日間の発行停止処分を受ける。
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9月9日
・午後、湊川埋立遊園地で講和問題市民大会。午後7時~午前2時、交番襲撃など騒動。
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9月9日
・岡山市非講和同志大会。藩閥政府打倒が始めて決議に現れる。対外硬政略実現のための藩閥政府打倒スローガン。
10日の宮城県民大会・若松市の会津大会では言論集会の自由抑圧・戒厳令・非立憲政策を批判。
11日の非講和全国大会(大阪、3府18県の代表参加)は「外は帝国の光栄を毀損し内は憲政の精神を破壊す」と決議。
9日以降、決議内容が判明する27の県・市民大会中17が政府の言論抑圧を非難。
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9月9日
・小村寿太郎全権、アメリカ大統領と会見。対清・韓国のポーツマス条約の実施に関して諒解を求める。
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9月9日
・イタリアのカラブリア地方で地震発生。数千人が死亡したと考えられる。
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9月10日
・週刊「直言」第32号発行。無期発行停止処分(事実上の終刊号となる)。

社説「政府の猛省を促す」
「・・・今や屈辱的講和の声は・・・政府の恐慌を惹起し、国民と警官の闘争となり、流血となり、暴行となり、軍隊の繰出しとなり、遂に首都に向つて戒厳令を布くの大騒擾となれり。」

「吾人の見る所を以てすれば、彼等の中、誠意熱心なる条約破棄論者なきに非ざると同時に、また必ずしも条約破棄を以て唯一無二の目的となすに非ざるものの極めて多きを知る。・・・聞けよ当局者、日本国民はその男女老若を問はず、一人として深大の怨恨を諸君に抱懐せざるはなかりし也。新聞紙が大活字を羅列して諸君を讃美しつつありし戦勝泰平の時期に於て、彼等国民の間には無限悲憤の熱涙を諸君のために拭ひつつありしなり。彼等の諸君に対する怨恨は講和の条件によって醸成せられたるに非ずして、その強ひて押え来れる怨恨の戦争終結を待って爆発したりしのみ。」

「戦争開始の当時、朝野を挙げて勤倹の二文字を戦時国民の精神生命なりとし、これを以て児童走卒を教へ、富豪紳士は金具金品を日本銀行に納め、以て愛国心を競ひしに非ずや。・・・而して伊藤は妓を大阪に購ひて妾とし、井上は妓を携へて叡山に遊び、松方は赤十字事業視察の途次いたるところに淫蕩を恣(ほしいまま)にせり。それ出征者の家族、戦死者の遺族は飢うれども食なく、寒けれども衣なし。而して皆、『国家のため』の故を以て泣くことだに能はざりき。戦争に伴なふ社会的現象たる失業、貧困、犯罪の悲惨の如きは一顧さへも与へられざりし也。政府当局者よ、この泣く能はず言ふ能はざる悲惨の国民が、果して何等の情念を以て伊藤、井上、松方等の倣慢無礼を見つつありしと思ふや。」

「啻(ただ)これのみならず、内務大臣芳川顕正は淫蕩いたらざるなく、総理大臣桂太郎は万金を抛つて新たに妾宅を構へたり。・・・内務大臣の官邸の屡々襲撃せられ放火せられたるもの・・・実に芳川が戦時における国民侮辱の復讐なりと知らずや。・・・特に警察と兵隊とを以て桂の妾宅を警護したるに及んで、吾人は万斛(ばんこく)痛憤の涙を呑で筆を投ぜざる可らず。」

英文欄の記事「大示威運動」
「吾人はこの場合、ロシアの革命運動を想起するを禁じ得ない。勿論その形態と精神においてはロシアの騒乱と同一でないが、しかしその本質は同一であって唯一の相異は日本国民が愛国的熱情に昂奮し、いまだに彼等の真状態を意識しないことである。だが、吾人は日本国民が他日、彼等の意識に目ざめて更に一層猛烈なる示威運動に出ずべきことを、政府のために恐れるものである」と記す。

堺利彦「破鍋綴蓋(われなべとじぶた)の記」;
為子との再婚について率直に語る。独身の男女が一つ屋根の下で暮らしていれば、親しみの情がわくのは当然で、松岡文子も西川光二郎から思いを寄せられていた。文子の自伝『平民社の女 - 西川文子自伝』によれば、1904年の忘年会の場で、西川は文子を愛していることを堺たちに告白した。その翌月の新年会で、文子は堺と秋水の両方から西川と結婚するように勧められたという。
その後、西川の入獄に先だって二人は事実上の結婚生活に入っていた。
だが、「貞女二夫にまみえず」 の風潮が残っている時代であり、文子の前夫の松岡荒村は平民社の人々によく知られていたので、文子への風当たりは強かった。
その上、堺と為子も再婚することになったので、兵民社の風紀は乱れていると中傷する者が出てきた。とくに、キリスト教系の同志の間で批判が高まった。

秋水署名の短評「書空語」
その一項に「平和は唯だ壮麗なる首相の妾宅に存するのみ、人道は唯だ日比谷公園の棒杭の文字に存す……」と皮肉る。
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9月10日
・警視総監安立綱之、引責辞任。後任は長野県知事関清英。
16日、内相芳川顕正、引責辞任。農商務大臣清浦奎吾兼任。
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9月10日
・『火鞭』刊行。火鞭会機関誌。これは翌年5月(第9号)で終刊するが、『種蒔く人』より早く出現し、後年のプロレタリア文学の先駆をなすもの。
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個人の尊厳 まだ学ばねば 樋口陽一さん「自由と国家」 戦前の「立憲」途絶えた理由、再考を (『朝日新聞』時代のしるし) 「第2次安倍政権になって、<街頭に出る>ことをあえてしました。国家に対抗する勢力が減り、日本社会から多元性が失われてきた、と感じるからです」

『朝日新聞』2016-02-23

(略)

 フランス革命は身分制の網の目から「個人」を解放し、自由にしました。裸になった個人と強力な
国家が向き合う構造を前提に、憲法で国家を縛り、国家の権力を分立させることによって、国家の圧迫から個人の尊厳と人権を守る。それが近代立憲主義です。西欧起源の概念ではありますが、その価値は普遍的だと私は考えます。

(略)

 本を執筆する直前、日本では巨大な「自粛」現象が起きています。昭和天皇が倒れたことをきっ
かけに、人々もメディアも「自由」に自らフタをしていったのです。近代立憲主義を反映した日本国憲法が誕生して当時40年余り。自粛現象が示したのは、自由であるべき個人の思想が「世間という名の社会的権力」の専制に拘束されている、日本の実情でした。

 明治憲法下の日本にも立憲主義を大事に考える人々がいた事実を私はこの本に書いています。「立憲」や「憲政の常道」がキーワードとして語られていたのです。ただ1930年代以降は立憲政治が葬り去られ、軍部による戦争拡大に歯止めがかけられなくなる。

 「戦前=暗黒の時代」とする単純な見方では日本の針路を誤る、と感じ始めていました。それなりに立憲が実現している時代があったのに、なぜ終わってしまったのか。それを考えることが重要だ、との思いが強まったのです。

 振り返れば89年は、日本で経済のグローバル化が広がり始めた時期でした。人々は「会社共同体」から放り出され、かろうじて残っていた農村共同体も壊されます。保護してくれる盾を失った個人に向けて「郷土」や「美しい国」といった口先だけの癒やしを提供する政治が台頭する。それが今の安倍政権につながる流れです。

 私は近年、社会的な発言をする場を以前より広げています。<代表的なメディアにたまに出るほかは、新書を書くか、一部の総合雑誌に寄稿するだけにする>。そういう自己原則をずっと貫いてきたのですが、第2次安倍政権になって、<街頭に出る>ことをあえてしました。国家に対抗する勢力が減り、日本社会から多元性が失われてきた、と感じるからです。
(聞き手 編集委員・塩倉裕)

自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)
自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)


たかが式典、ではない。国歌斉唱の際の起立命令が思想・良心の自由を間接的ながら制約することは、最高裁も認めている。あの時もっと気をつけていたら……。そんな後悔をしないためにも、今、目を光らせる必要がある。(「朝日」天声人語)

『朝日新聞』2016-02-26


戦争の悲劇「特殊婦人」 ; 「NNNドキュメント'16 奥底の悲しみ」(日テレ系) 日本放送文化大賞グランプリ・民法連賞報道番組部門最優秀賞 ← 28日午前11時~BS日テレで再放送 (『朝日新聞』記者レビュー)

『朝日新聞』2016-02-26

上海G20開幕、麻生財務相「金融市場の不確実性高まっている」 (ニューズウィーク日本版) ← 他人事のように言ってるけど、アンタの責任大きいよ!

高浜1・2号機:「40年超」初の新基準適合 規制委 (毎日新聞) ; 原発運転の「40年ルール」が、早くも骨抜きに / 老朽原発 相次ぎ延命も。例外「60年運転」現実味 (東京新聞) ; 高浜1、2号機 新基準適合 老朽化 審査に記載なし。緊急時対策所など手付かず






2月22日(月)のNHK「クローズアップ現代」で「地方公務員の約三分の一が非正規」で、その過半数が「年収200万円未満のワーキングプア」という指摘には、「そこまで深刻とは驚いた」など反響多数。— 大内裕和 / 広がる“労働崩壊”~公共サービスの担い手に何が~ - NHK クローズアップ現代



2016年2月26日金曜日

鎌倉 長谷寺 ウメ カワヅザクラ ボケ マンサク 玉縄桜 ミツマタ 黄梅 福寿草 由比ヶ浜・材木座海岸の眺め 2016-02-26

2月26日の鎌倉散歩
長谷寺
ここは見所が多く、個人的には好きな場所
(拝観料300円は安いと思う)


▼入ってすぐのところに、ウメ(右)とカワヅザクラ(中央と左)が並んでいる

▼観音さんの前にもカワヅザクラ


▼ボケ

▼マンサク(これから)

▼裏山の展望ポイントから由比ヶ浜と材木座(逗子まで見える)

▼玉縄桜


▼ミツマタ

▼黄梅

▼福寿草

鎌倉 市役所前の満開の玉縄桜 それと戯れるメジロたち 2016-02-26

鎌倉散歩 極楽寺 成就院(由比ヶ浜の眺め) 極楽寺坂(切通し)の石碑 虚空蔵の外観 御霊神社のカワヅザクラ 御霊神社前を走る江ノ電 2016-02-26

鎌倉散歩 収玄寺 カワヅザクラ サンシュユ ウメ 福寿草 2016-02-26








鎌倉散歩 収玄寺 カワヅザクラ サンシュユ ウメ 福寿草 2016-02-26

2月26日の鎌倉散歩
江ノ電長谷寺駅前の収玄寺。

▼カワヅザクラ

▼サンシュユ

▼ウメ

▼福寿草

鎌倉散歩 極楽寺 成就院(由比ヶ浜の眺め) 極楽寺坂(切通し)の石碑 虚空蔵の外観 御霊神社のカワヅザクラ 御霊神社前を走る江ノ電 2016-02-26

2月26日の鎌倉散歩。

▼極楽寺
お寺の中は写真(写生も)禁止

▼成就院からの由比ヶ浜の眺め
アジサイの名所、成就院。
2015年(昨年)~2017年、大幅な改修工事のためアジサイを見ることができないそうだ。
全てのアジサイが伐採されていた。
このお寺は全て無料。

▼極楽寺坂(切通し)の石碑
新田義貞軍の鎌倉攻めのイメージが強い。
確か、極楽寺もその際に焼亡したはず。

▼虚空蔵の外観

▼御霊神社のカワヅザクラ
鎌倉権五郎を祀った神社

▼御霊神社前を走る江ノ電(トンネルをでたところ)
アジサイの頃は、この線路沿いにぎっしりとカメラの砲列が並ぶポイント。
運転手さん、カメラ目線。
アジサイの頃は、踏み切り整理の警備員が配備されるくらい。

鎌倉 市役所前の満開の玉縄桜 それと戯れるメジロたち 2016-02-26






鎌倉 市役所前の満開の玉縄桜 それと戯れるメジロたち 2016-02-26

2月26日、予報では午前中は晴れ、午後は晴れときどき曇り。
だが、実際は一日を通してよく晴れたお天気だった。

今日は鎌倉へ出かけた。

まず、鎌倉市役所前にある玉縄桜とメジロ。
昨日、メジロをうまく撮れずにいたので、今日こそはの思いで粘った。
計3回は行ったり来たりで、1時間以上費やした。

そのあと、江ノ電で極楽寺まで。
極楽寺~成就院~虚空蔵~御霊神社~収玄寺~長谷観音と歩き、
帰りは、長谷観音から江ノ電。

鎌倉散歩 極楽寺 成就院(由比ヶ浜の眺め) 極楽寺坂(切通し)の石碑 虚空蔵の外観 御霊神社のカワヅザクラ 御霊神社前を走る江ノ電 2016-02-26

鎌倉散歩 収玄寺 カワヅザクラ サンシュユ ウメ 福寿草 2016-02-26

鎌倉 長谷寺 ウメ カワヅザクラ ボケ マンサク 玉縄桜 ミツマタ 黄梅 福寿草 由比ヶ浜・材木座海岸の眺め 2016-02-26

そして、もう一度、市役所前に戻った。

▼玉縄桜
ソメイヨシノの亜種、早咲き、長咲きとのこと



▼粘りに粘って、これだけ。







谷垣氏 自民改憲案は「エッジ利かせて問題提起」 (テレ朝) ; 「自民党の谷垣幹事長は、2012年にまとめた憲法改正草案について、当時、野党だったため実現可能性をあまり考慮していなかったことを明らかにしました。」 ← やっぱり恥ずかしかったんだな

東京 竹橋 丸紅ビル脇のカワヅザクラが満開 2016-02-25



東京 皇居東御苑 早咲きの桜(カワヅザクラ、ツバキカンザクラ、リュウキュウカンヒザクラ)が満開 メジロがいっぱい戯れて ミツマタ(咲き始め) 梅林坂のウメ(ピークを過ぎたか) 2016-02-25

【最新は3月2日↓】

2月25日の皇居東御苑
早咲きの桜(カワヅザクラ、ツバキカンザクラ、リュウキュウカンヒザクラ)が満開

▼カワヅザクラ満開



▼ツバキカンザクラ満開
メジロが戯れて





▼リュウキュウカンヒザクラ満開



▼ミツマタ(まだまだこれから)

▼梅林坂のウメ
ピークを過ぎた感じ。



東京 北の丸公園 カワヅザクラ満開 カンヒザクラ咲く マンサク(終盤) サンシュユ咲く ウメ満開 2016-02-25

東京 皇居乾門脇公園のオオカンザクラ開花 マンサクはピーク 2016-02-25

東京 皇居東御苑の早咲きのサクラたち カワヅザクラ(ピーク) ツバキカンザクラ(ピーク) リュウキュウカンヒザクラ(特に見頃) カンヒザクラ(咲き始め) 2016-03-02

東京 北の丸公園 カワヅザクラ(ピーク) 満開のカンヒザクラとサンシュユにメジロが戯れて ハナダイコン ウメ(まだしっかり咲いている) 2016-03-02